ラベヌー・ゲルショムのヘーレム
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「ヘーレム」の記事における「ラベヌー・ゲルショムのヘーレム」の解説
ラベヌー・ゲルショムのヘーレムとは、1000年頃のアシュケナジムの共同体において、ラベヌー・ゲルショム(ゲルショム・メオール・ハ・ゴラー)というロレーヌのラビがおこなった法改訂、およびそれによって引き起こされた一連の出来事を指している。彼は改定後の新たな規範に基づいて違反者に対してヘーレムを科した。4人いた彼の弟子、あるいは彼らの弟子はこの件についてほとんど言及しなかったものの、「ラベヌー・ゲルショムのヘーレム」という概念は、一個人による法改訂としては他に例がないほど周知されるようになった。ただし、いくつかの改訂に関してはその信憑性に疑問が呈されており、現在のところ間違いなくラベヌー・ゲルショムに帰される改訂は次の3つであるとされている。 2人以上の妻をめとることの禁止(重婚の禁止)。 強制的に妻に離縁を言い渡すことの禁止。 手紙など他人の文書を無断で閲覧することの禁止。 最初と2番目の改訂は女性の地位を劇的に改善するもので、これによりアシュケナジムの家族の姿も一変することになった。これ以降、アシュケナジム文化の独自性の隠れたシンボルとなり、キリスト教社会における一夫一妻制確立にも影響を与えた。アシュケナジムのユダヤ人共同体はこの改訂を受け入れたのだが、ミズラヒムとテマニームの共同体からは拒絶された。それは彼らの周囲のイスラム教社会では一夫多妻制が敷かれており、離縁にさいしても妻の合意を必要としていなかったからである。 それ以外のラベヌー・ゲルショムによるものと推定される改訂には下記のようなものがある。 イブームの禁止。およびハリツァー(レビラト婚)の義務。 教典に関して根拠もなく意見を述べてはならない(この規範はしばしばラベヌー・タムによるものと誤解されている)。 婚姻時には健常であった妻が難聴者になったからといって離縁を言い渡してはならない。 結婚して1年以内に妻を亡くした場合は持参金を返納すること。 共同体は、夫に捨てられた女性や経済力のない夫を持った女性を扶養しなければならない。 夫は18ヵ月以上妻から離れてはならない。 ケトゥバー(結婚契約書)を紛失した場合に備えその写しを用意すること。 夫は妻がくすねてきた窃盗品に満悦してはならない。 キリスト教徒が用いる装飾品を購入してはならない。 1人で祈るのを禁じられているからといって自宅を礼拝所にしてはならない。 仲間を殴った賠償は、シナゴーグにて倍返しで殴られること。 無断でシナゴーグから聖具や神物を持ち出してはならない。 1年前までユダヤ教徒が住んでいた部屋を異教徒に貸してはならない。 何かを書くために教典の一部を引き千切ってはならない。 10人ちょうどで祈っている場合、もし1人が祈るのを止めても残りの9人は祈り続けなければならない。 巨額の損失を被ってもいないのなら異教徒の法廷で仲間を訴えてはならない。 プリムの日に貧者を見かけたら道行く者は施さねばならない。 共同体の少数派の者は多数派の望みに従わねばならない。 被告人に対して彼が裁かれるべき法廷に強制的に立たせる権利。 借財の担保に教典を預けている場合は返納を長引かせてはならない。 ユダヤ教に改宗したアヌシームに対して過去の罪を問うてはならない。 これらの改訂は第5の千年紀(ユダヤ暦による)が終わるユダヤ暦5000年(1239年 – 1240年)までに制定されるよう各地のユダヤ人共同体に働きかけられ、当初は拒絶していたミズラヒムとテマニームの共同体も後に受け入れるようになった。その間、ラベヌー・タムによってこれらの改訂はさらに厳格化され、新たな改訂が追加されたりもした。
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