リショニームの時代からアハロニームの時代におけるヘーレム
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リショニームの時代(11世紀 – 15世紀)になると、ヘーレムやニドゥィは社会規範の厳格化を促す目的に用いられるようになった。この時代の有名なヘーレムに、ラベヌー・ゲルショムのヘーレムがある。また、第2次十字軍の時代には、ラシュバムやラベヌー・タムを含むおよそ150人のラビが、異教徒の法廷におけるユダヤ人がらみの裁判に加担したとして、複数のユダヤ人に対してヘーレムを宣告している。また、共同体におけるラビや屠殺人の任命、あるいは税に関する案件でもヘーレムが適用されることがあった。 こうして近代にいたるまでヘーレムは、異教徒の権力者に対してユダヤ人の中傷を吹き込むといった宗教的、あるいは道義的な違反者に対する懲罰の最終手段として機能した。一方では世俗的な学問に関与したとして『モレー・ハ・ネボヒーム』というラムバムの著書がヘーレムの対象になったこともある。ウリエル・ダ・コスタや若き日の バルーフ・スピノザも無神論的な言説を広めたとしてヘーレムを宣告された偉人のひとりである。それから数世代後に勃興したシャブタイ派の信奉者らにもヘーレムが下されており、その影響のもとに誕生したフランク主義やハシディズムの信奉者らも彼らの後に続いた。ハスカラーや進歩主義ユダヤ教の信奉者、さらにはシオニストらも例に漏れなかった。
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