バルーフ・スピノザとは? わかりやすく解説

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バルーフ・スピノザ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/10 18:53 UTC 版)

ヘーレム」の記事における「バルーフ・スピノザ」の解説

バルーフ・スピノザ(バルーフ・デ・エスピノザ)は、ポルトガルアヌシームアムステルダムへ逃亡後にユダヤ教改宗した両親の間に生まれた。彼は神の存在そのものを公式に否定した最初ユダヤ人であったとされている。幼少期より『エッツ・ハイーム』からユダヤ思想学び長じてアムステルダム賢者弟子となったこの頃にはすでにヘブライ語習得しており、タナハ原文で読むことができた。また、アブラハム・イブン・エズラタナハ注釈中世ユダヤ哲学思想から多く影響受けていた。成人達するとギリシア哲学をはじめとした一般的な学問にも手を伸ばしたのだが、当時ラムバムハスダイ・クレスカス著書基づいたユダヤ思想立脚したうえでギリシア哲学理解していた。しかし父親の死後、22歳になったスピノザキリスト教徒グループに加わるようになり、ハラハー実践止めて安息日規定公然と無視するようになったさらにはユダヤ教という制度そのもの対す反意表明するのもためらわなかったため、ラビによる法廷召喚され、そこで更生促すべく30日間ニドゥィ言い渡された。それでもスピノザ更生応じなかったため、アムステルダムユダヤ人社会総意のもと1656年ヘーレム宣告受けた。このときまだ24歳若さであった。以下はその宣告文である(ヘブライ語抄訳からの重訳)。 ―5416年(ユダヤ暦)―権威あるパルナスユダヤ人共同体指導者)の賢者らが、あなた方にとって吉報となるべき重要な宣告文を出す。バルーフ・デ・エスピノザの悪しき思想言動伝えられるようになってからというもの、賢者らは期待込めつつ様々な手段講じて彼の者を悪しき道から立ち直らせようと試みてきた。しかし、賢者の手負えるものではなくそれどころか、恐るべき背信行為たるその言動教育について数々報告毎日のように届けられており、いまや賢者の手には、賢者らが直に見聞きした信頼すべきあまたの証言がある。よって、彼の者の思想言動に対して決然たる態度で臨むに至る。すなわち、件のエスピノザ破門処しイスラエル会衆から追放する見よ賢者らは下記のごとくエスピノザに対してヘーレム科す誉れ高き神と聖なる会衆合意のもと、御使い決意祈り言葉をもって、我々はバルーフ・デ・エスピノザに対してヘーレムニドゥィ、これに加えてシャムター判決を下す彼の者は、昼に呪われ夜に呪われ臥所呪われ起きて呪われ出て呪われ帰って呪われよ。主は彼の者の購いを望まず、これを憎まれるあなた方今日主なる神、生きている神と一体となり、満場一致このように言う。「我々は警告する口頭であれ文章であれ、何人たりとも彼の者と接触してならない彼の者にとって有益なことを一切行ってならない彼の者と同じ屋根の下に留まってもならない直接はもちろん、文書による間接的な結びつき依頼することさえも許さない。」

※この「バルーフ・スピノザ」の解説は、「ヘーレム」の解説の一部です。
「バルーフ・スピノザ」を含む「ヘーレム」の記事については、「ヘーレム」の概要を参照ください。

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