モントゴメリー隊の到着とは? わかりやすく解説

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モントゴメリー隊の到着

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 22:48 UTC 版)

ケベックの戦い (1775年)」の記事における「モントゴメリー隊の到着」の解説

12月1日モントゴメリー隊がポワント・オ・トランブルに到着した。その部隊は、ニューヨーク第1、第2、第3連隊300名とジョン・ラムが起ち上げた砲兵小隊、ジェイムズ・リビングストンが徴兵した第1カナダ連隊200名、および徴兵期限切れたために解隊した連隊残り集めたジェイコブ・ブラウンの部隊160名から構成されていた。これに加えて数日後には、モントゴメリーモントリオール残していたデイビッド・ウースター少将派遣した数個小隊加わったモントゴメリー隊が運んできた大砲は4門のカノン砲と6門の迫撃砲であり、またアーノルド隊のために冬の衣服などの物資運んできた。これらの物資モントリオール占領した時に逃げ出したイギリス船舶から奪ったのだった大陸軍ケベック市向かい12月6日には市を包囲したモントゴメリーはある女性使者選んでカールトンに市の降伏要求する私文書送ったカールトンはこの要求拒み文書読まず燃やしたモントゴメリー数日後に同じ事を試みたが、結果同じだった包囲する側は主に市内住民伝言送り続け、市の状態は絶望的であること、アメリカ側支援するために立ち上がればその状態が良くなる訴えた12月10日大陸軍は市の壁から700ヤード (630 m) にその最大砲台据えた大地凍っていたために大砲のための溝を掘ることができず、固まり掩蔽用の壁を造った。この砲台市内向けた砲撃使われたが、それが与えた効果はあまりなかった。凍った地面では塹壕を掘ることもできず、また市の防御破壊できるような道具無かったので、モントゴメリーは大変難し状況にあることを認識したアーノルド隊の兵士はその年の終わりには徴兵期限が切れることになっており、植民地から弾薬が来る予定無かった。さらに春にイギリス援軍到着することが予測され前に進むか退くかしかないことを意味していた。モントゴメリーは市の壁を気付かれずによじ登るとすれば、夜の風雪紛れていくしかケベック市占領するチャンスは無いと考えたモントゴメリーが市への攻撃作戦立てている時にトロワリヴィエール近くに住むフランス人クリストフ・ペリシエが会いに来た。ペリシエはサンモーリス鉄工所運営する政治的にアメリカ側支持する者だった。ペリシエとモントゴメリー植民地会議開いて大陸会議に代表を送る案を検討した。ペリシエはこのことについて、住民がその安全を確保されるまで自由に行動できるとは考えないであろうから、ケベック市占領した後に行うことを奨めた。包囲戦のためにペリシエの鉄工所軍需品銃弾砲弾など)を提供することでは合意した。ペリシエは大陸軍撤退した1776年5月まで支援続けその後逃亡し最終的にフランス戻った12月27日夜に暴風雪があって、モントゴメリー部隊攻撃への備え促すことになった。しかし、この嵐は間もなく止みモントゴメリー攻撃中止命じたその夜ロードアイランド出身軍曹1人脱走して、攻撃作戦の詳細イギリス軍伝えたモントゴメリー新し作戦立て直した。まずジェイコブ・ブラウンとジェイムズ・リビングストンが率い2つ部隊ケベック市西壁陽動攻撃掛ける一方残り部隊2つ分かれてケベック市ローワータウン攻撃仕掛ける。1隊はアーノルド率いローワータウン北端防御線を潰す。もう1隊はモントゴメリー率いて市の南、セントローレンス川沿いに進軍するというものだった2つ部隊ローワータウン落ち合い共同で市の壁によじ登ってアッパータウン襲撃することにされた。この新し作戦上級士官にのみ伝えられた。

※この「モントゴメリー隊の到着」の解説は、「ケベックの戦い (1775年)」の解説の一部です。
「モントゴメリー隊の到着」を含む「ケベックの戦い (1775年)」の記事については、「ケベックの戦い (1775年)」の概要を参照ください。

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