ムツゴロウ動物王国
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/01 14:40 UTC 版)
ムツゴロウ動物王国(むつごろうどうぶつおうこく)は、ムツゴロウこと畑正憲が創設した動物と触れ合うための施設。
英語表記は "Mutsugoro Animal Kingdom".
沿革
北海道で開設
東京ムツゴロウ動物王国
関東進出のための運営会社として、株式会社グローカル21が設立され、千葉県流山市への進出を計画したが、採算性や反対運動などで2003年はじめまでに頓挫した。その後、東京都あきる野市の東京サマーランド内に観光施設としての「東京ムツゴロウ動物王国」を、北海道時代の50分の1にあたる約9万平方メートルで開設することになる。
2004年7月28日、東京サマーランド内の敷地に「東京ムツゴロウ動物王国」を開園。一部のスタッフと動物だけを北海道に残し、事実上「ムツゴロウ動物王国」は東京都に移転する。非公開であった北海道時代とは異なり、一般の人に動物との触れあうことのできる施設となった。
しかし、集客が伸びず、サマーランドへの賃料や従業員の給与の支払いが滞納するなどし、運営会社である株式会社グローカル21は、2006年6月末にサマーランドから契約解除されて退去を求められ、同年7月15日に従業員を解雇し、2006年11月には破産した。その後、畑の経営するムツプロが暫定的に経営を引き継ぎ、東京ムツゴロウ動物王国の営業を継続した。しかし、2007年11月25日に、東京ムツゴロウ動物王国は正式に閉園した。
再び北海道へ
東京ムツゴロウ動物王国閉園後は、再び発祥の地である北海道の浜中町と中標津町へ移転した。
同王国では犬113匹、猫41匹、馬10頭が飼育されていたが、ほとんどの動物とスタッフも北海道へ戻った。
脚注
関連項目
外部リンク
ムツゴロウ王国
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中学校時代に出会った同級生の女性と結婚し、娘をもうける。娘を生物に深く触れさせて育てたところ、魚の命を奪って食べることを拒絶するようになったことに衝撃を受け、もっと深く生の自然に触れさせて、表面的な生き物好きの精神の虚弱さを払拭させて育てることを決意した。 1971年、東京を離れ、北海道厚岸郡浜中町の嶮暮帰島に移住。さらに対岸の浜中町に移り1972年に「ムツゴロウ動物王国」を開園。1979年には標津郡中標津町にも広大な牧場やログハウスの自宅を有したムツ牧場を開園。ここで多くの動物を飼育しながら文筆生活を送るうちにヒグマとの生活を描いたエッセイや、天然記念物に指定された動物の保全の現状を追跡したルポなどで文壇での成功をおさめる。 その後、彼のエッセイに共鳴してこの共同生活に加わる若者が増えた。この共同体の姿がテレビ番組としてシリーズ放映されて人気番組となった。この間にも自然保護運動に奔走していた。増田俊也の『七帝柔道記』には畑が1987年の知床原生林伐採問題時に急先鋒に立って反対運動に参加していた場面が実名で出てくる。 「ムツゴロウ動物王国」は原則非公開だったため、北海道で培ったノウハウを生かし、「都会の人々に動物にふれあってもらう」というコンセプトで、2004年7月28日、東京都あきる野市の東京サマーランド内の約9万m2の敷地に観光施設としての「東京ムツゴロウ動物王国」を開園。北海道には一部のスタッフや動物が残留するのみとなった。 東京ムツゴロウ動物王国は集客が伸びず、2006年10月14日、「ムツゴロウ動物王国」の運営会社だったグローカル21が破綻し、負債総額8億円に上ることが明らかとなった。その後運営主体を畑正憲のプロダクション「ムツプロ」に暫定的に移すも、2007年10月17日、東京都あきる野市の「東京ムツゴロウ動物王国」が2007年11月25日で閉園、活動発祥の地である北海道へ戻ることが発表された。東京ムツゴロウ動物王国の運営資金を個人保証で借り入れていた関係から、個人としても約3億円の借金を背負ったが、執筆・講演活動などの収入で約8年間かけて借金を完済した。 1年のうち、ムツゴロウ王国に滞在する期間はあまり長くなく、それ以外は各地で講演などをしている。
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