ポロニウムの痕跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 20:31 UTC 版)
「リトビネンコ事件」の記事における「ポロニウムの痕跡」の解説
リトビネンコの殺害にポロニウム210が使用されたことが発覚すると、イギリス健康保護庁はただちに科学者のチームを編成し、放射能汚染の範囲についての調査を行った。ポロニウムによる汚染は、ロンドン内外の40カ所以上の地点で検出され、捜査当局はそれらの痕跡がルゴボイとコフトンが2006年10月から11月にかけて3度にわたりロンドンを訪れた際の足跡と一致することを発見した。 最初にポロニウムの痕跡が残されたのは、ルゴボイとコフトンがリトビネンコに会うためモスクワからロンドンを訪れた2006年10月16日とされる。この日、2人はメイフェア地区の民間警備会社「エリニス」の重役会議室でリトビネンコと会談し、その後ピカデリー・サーカスの寿司レストラン「itsu」にてリトビネンコと昼食をとっていた。重役会議室からは極度のポロニウム汚染が検出され、ルゴボイとコフトンはこの場所で初めてリトビネンコにポロニウムを投与することを試みたと推察されている。しかし、この日リトビネンコが体内に取り込んだポロニウムの量は致死量には程遠く、彼は一時的に体調を崩し、嘔吐の症状が現れたもののそれ以上の健康被害はなかった。ポロニウムによる汚染は、この日に「itsu」で3人が使用したテーブルと、コフトンとルゴボイがそれぞれ宿泊したホテルの部屋でも検出された。2人は10月17日にホテルを予定よりも早くチェックアウトして別のホテルに移り、その翌日にはロンドンを離れた。 その後、ルゴボイは2006年10月25日から10月28日にかけ単身で再びロンドンを訪れた。この期間にルゴボイが宿泊したホテルの部屋からは極度のポロニウム汚染が検出されている。ルゴボイはホテル内のティールームでリトビネンコに面会したが、何らかの理由(監視カメラの存在など)によってポロニウムの混入を断念した。暗殺の試みが失敗したのち、ルゴボイはポロニウムをホテルの部屋の洗面台に流して処分し、ロンドンを離れた。 2006年10月31日、ルゴボイは家族や友人を引き連れて再びロンドンを訪れた。ルゴボイは、訪問の目的は11月1日に開催されるサッカーの試合を観戦することであったと主張している。コフトンもまた、11月1日にドイツ・ハンブルクからの飛行機でロンドンに到着した。 2006年11月1日の午後5時ごろ、リトビネンコはグローブナー・スクエア(英語版)の「ミレニアム・ホテル」で待つルゴボイとコフトンを訪れた。リトビネンコがホテルまでの移動に使用したバスからは放射能汚染が検出されなかったが、ホテルでは多量の汚染が検出された。現場となったのはミレニアム・ホテル内の「パイン・バー」であり、リトビネンコの証言によれば、バーに到着した際にはすでにテーブルの上にティーポットが置かれており、彼は着席したのちにポットから緑茶をティーカップに注いで2、3口を飲んだ。のちに、バーで使用されたティーポットの1つから極度のポロニウム汚染が検出された。また、汚染はポットの注ぎ口で特に顕著であった。ミレニアム・ホテルにおける極度のポロニウム汚染は、コフトンが宿泊していた部屋(382号室)のバスルームからも検出された。 リトビネンコはミレニアム・ホテルを離れたのち、ボリス・ベレゾフスキーの事務所に立ち寄った。リトビネンコが事務所で使用したファックスからはのちに放射能汚染が検出された。午後6時、アフメド・ザカエフ(英語版)がリトビネンコを車に乗せ、自宅まで送った。この時リトビネンコが残した放射能汚染によってザカエフの車は使用不能の状態となった。深刻な汚染は自宅からも検出され、リトビネンコの妻は安全のため家を離れることを余儀なくされた。 当日の午後3時ごろにピカデリー・サーカスの「itsu」でリトビネンコと昼食をとっていたマリオ・スカラメッラは、事件発覚後に検査を受けた結果、致死量を大きく上回るポロニウム210を摂取していたと医師から告げられたと主張したが、実際にはスカラメッラとリトビネンコがこの日に使用したテーブルから放射性物質による汚染は検出されなかった。11月30日には、更なる検査の結果、スカラメッラはポロニウムによる汚染を受けていなかったことが判明したと報告された。 ルゴボイは11月1日にリトビネンコと別れたのち、ロンドン北部のエミレーツ・スタジアムでサッカーの試合(アーセナル対CSKAモスクワ)を観戦し、その後コフトンとともに11月3日の飛行機でロンドンからモスクワに出発した。のちに、エミレーツ・スタジアムおよび両者が11月3日の帰国時に使用した飛行機から放射能汚染が検出された。
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