ポスト・ドライ戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 13:49 UTC 版)
ドライ戦争後の1989年において、ドライビール市場の規模はあまり変化せず、販売数量全体の2/3が『スーパードライ』で他銘柄は大幅に減少した。1990年代以降も『スーパードライ』を主体としたドライビールは消費者に定着したビールのひとつになっており、ドライビール市場は1988年から2010年代において1億ケース以上の規模と需要を継続している。 ドライ戦争の勝者となったアサヒは引き続きドライビールに固執・集中した展開を進め、『スーパードライ』が一時期停滞したものの1993年から2000年まで成長を続け、2000年代後半から2010年代前半においてもビール類市場において高い比率を誇る定番ブランドとなっている。 ドライ戦争で敗者となったアサヒ以外の各社は発泡酒や第三のビールにチャンスを見いだしていくことになる。 発泡酒市場において、1990年代後半までに他社は参入して活発な展開を行う中、同社だけ参入が2001年と遅れたのは麦芽使用率の低い節税型発泡酒が『スーパードライ』と類似する面から競合の可能性によって躊躇したり難色を示したとされる。実際にアサヒ初の発泡酒「本生」発売後の初期段階で『スーパードライ』の売上が10%以上減少し、自社製品同士の競合状態となっていたが、結果的に本生効果(2001年発泡酒シェアでアサヒ2位)によって2001年のビール類(当時はビールと発泡酒が該当)市場占有率においてアサヒがキリンを抜き首位となった。 一方で、他社においては、発泡酒でドライタイプの製品を発売している。サントリー「ホップス ドライ(1995年5月)」「スーパーホップス マグナムドライ(1999年発売。数回リニューアルされ、最終的に「MDゴールデンドライ」となった)」や、サッポロ「冷製辛口(2000年発売)」「きりっと 新・辛口〈生〉(2002年発売)」や、キリン「常夏〈生〉 -エクストラドライ-(2001年夏季限定)」が発売されていた。アサヒにおいても、「ドライ」や「辛口」の表現はされていないが、「スパークス(2003年発売)」や「クールドラフト(2009年発売)」という名称で、ドライ系発泡酒の販売を行っていた。また、第三のビールにおいても、同様の製品が発売され、キリン「本格〈辛口麦〉(2010年発売)」やサントリー「ジョッキ生 -爽快辛口-(2010年のリニューアル(当時の名称は「ジョッキ のみごたえ辛口〈生〉」)より辛口タイプに変更)」やサッポロ「ダブルドライ(2007年発売/2008年製造終了)」が発売されている。 2000年代に入って、サントリーが使用していた『スーパーマグナムドライ』(発泡酒)、『スーパーチューハイドライ』(缶チューハイ)などの名称が、『スーパードライ』に酷似との理由で、アサヒが商品名の使用中止を求め警告書をサントリーへ郵送。これで解決しなかったためアサヒがサントリーを提訴し、それに対しサントリーが「営業上の信用を害された」との理由でアサヒを逆提訴した問題が発生したが、サントリーが2003年5月末までに表記を変更することで和解し、サントリーの逆提訴についてもアサヒとの和解が成立し、両社は相手方に対する損害賠償請求を放棄した。 ドライ戦争のように、アサヒが新要素を前面に出した新商品を発売し、好調な売上を記録して新たな市場が形成され先行優位状態となった後に他社が同類の新商品で追随するパターンは2000年代後半にも発生しており、機能性発泡酒で「糖質ゼロ」を前面に出した「アサヒスタイルフリー」を2007年3月に発売し好調であったことから2008年にはキリン「キリンゼロ」、サントリー「ゼロナマ」、サッポロ「ビバライフ」が発売されており、この事例を一部では「糖質ゼロ戦争」と表現している。
※この「ポスト・ドライ戦争」の解説は、「ドライビール」の解説の一部です。
「ポスト・ドライ戦争」を含む「ドライビール」の記事については、「ドライビール」の概要を参照ください。
- ポスト・ドライ戦争のページへのリンク