ボ1形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 04:25 UTC 版)
富岩鉄道が開業時に用意した木造ボギー車で、1924年6月に2両(1, 2)が大阪鐵工所で製造された。記号として付されている「ボ」とは、ボギー車の意味である。 前面は、当時の大阪電気軌道や南海鉄道の電車が採用したのと同様の大きなRの付いた半流線型の5枚窓で、それぞれの窓の上部はアーチ形の曲線を描いている。側面は片引戸を両端に寄せた2扉で、窓配置はD22222Dであったが、扉の上部も前面と同様のアーチを描き、2個一組となった側窓の上部幕板にもそれぞれアーチ形の欄間が付けられているという、実に優雅な車両であった。最大長は12,065mm、最大幅は2,628mm、最大高は4,150mm、自重は17.65tで、総定員は74人、うち座席定員は18人(1942年(昭和17年)座席半減後)である。 屋根は丸屋根で、集電装置は当初ポールであったが、1928年(昭和3年)にパンタグラフへ交換された。 英国メトロポリタン=ヴィッカース(MV)社製のT4D形、主電動機も同社製の定格出力52.22kWのものを2個装備した。歯車比は15:69である。台車は、日本車輌製造(日車)製のC形を履く。 1943年の国有化後も、そのまま富山港線で使用されたが、1945年(昭和20年)の太平洋戦争終戦直後に休車となり、1948年(昭和23年)4月7日付けで廃車されて、2両とも富山地方鉄道に譲渡された。 富山地方鉄道では、一時期立山線で付随車代用として使用した。その後、高伏線(現在の万葉線高岡軌道線)に移り、同線への新造車投入にともなって両車とも除雪用になり、ボ2は笹津線に移った。1959年(昭和34年)4月、高伏線が加越能鉄道に譲渡されたのにともない、ボ1は同社の所属となり、1971年(昭和46年)まで使用された。 ボ2は、その後主電動機をウェスティングハウス・エレクトリック社製(形式不明)4個に交換し、制御器も日立製作所製RP形に交換された。もともと装備していたMV社製の電動機は、ボ1とともに予備用として加越能鉄道に譲渡されたという。車体も鋼板貼り付けによって更新され、優雅なアーチ形の飾りは失われて、前面も3枚窓となった。同車は、1980年(昭和55年)に廃車となっている。 時期は不詳(1950年代 - 1960年代?)であるが、富山地方鉄道ではデニ6000形(6001, 6002)を称したことがあり、その後旧番に復したという経過がある。
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