セミボ21
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 04:25 UTC 版)
21は、性能的には20と同等であるが、後位運転台の直後に荷物扱い設備を設置して製造されており、窓配置はD22221D3と前後非対称で、後位の扉は荷物扱いのため前位のものより幅が広かった。また、メーカーが違うこともあって、装飾は20に比べてシンプルで、側窓上部の幕板に1個ずつ長方形の欄間を付けているに過ぎない。最大長は13,472mm、最大幅は2,705mm、最大高は4,197mm、自重は21.65tで、総定員は96人、うち座席定員は28人である。台車は、再び日車C形に戻ったが、軸距は1,530mmとやや長い(ボ1形、セミボ20は1,473mm)。 戦後は、両車とも1951年に松任工場で電装解除、後位運転台撤去のうえ非自動間接式(HL)制御器を装備して、片運転台の制御車として旧伊那電気鉄道の社形と組んで使用された。その際にも、パンタグラフは撤去されずに残されている。 1953年(昭和28年)6月1日に施行された車両形式称号規程改正では、クハ5400形が予定されたが、その直前の同年3月20日付けで廃車され、20は静岡鉄道に、21は岳南鉄道に譲渡された。 静岡鉄道に譲渡された20は、クハ7として1955年(昭和30年)10月に2代目モハ7と編成を組んで使用が開始され、1960年代に廃車されたものと思われる。 岳南鉄道に譲渡された21は、クハ21として使用され、台車はTR10に変更された。廃車は1968年(昭和43年)である。
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