ボックスセットの出版以降(1984年~1985年)
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「グレイホーク」の記事における「ボックスセットの出版以降(1984年~1985年)」の解説
「ワールド・オブ・グレイホーク」の出版は、ガイギャックスのオアースに対する構想の第1段階であった。続く数年間に渡って、彼はオアリク大陸の別の地域―各々の新たな地域には歴史、地理、政治に関して、すでにフラネスに対して行ったのと同等の詳細な解説を施して―を明らかにすることを計画した。ガイギャックスは、オアースのもう1つの半球についても、自分の個人的な覚書に地図を書いていた。このうちの一部はガイギャックスの仕事であろうが、レン・ラコフカとフランソワ・フロワドヴァルもまた、ガイギャックスがオアース上に配置することを望んだ素材を作成した。TSRの当時のクリエイティブ・コンサルタントであったフランク・メンツァーは、彼のホーム・キャンペーン設定である「アクアリア」を背景としたRPGAトーナメント冒険を4つ執筆した(TSRによってRシリーズ・モジュールの最初の4つとして出版された。R1 トゥ・ジ・エイド・オブ・ファルクス(英語版)、R2 インベスティゲイション・オブ・ハイデル(英語版)、R3 ジ・エッグ・オブ・ザ・フェニックス(英語版)、R4 ドクズ・アイランド(英語版))。メンツァーは、それらが新たな「アクア=オアリディアン」キャンペーンの最初の部分となり、フラネスを除くオアース上のどこかに配置されることを想定していた。 しかしながらこの時には、ガイギャックスは土曜朝のD&Dのアニメ(英語版)・シリーズの台本をチェックするためと、「D&D」映画の契約を獲得するために、ハリウッドに半恒常的に詰めていた。単にガイギャックス自身のグレイホークに関連する資料の製作量が大幅に減少していただけではなく、会社はその焦点と資源をグレイホークから、「ドラゴンランス」と呼ばれる新たなキャンペーンセッティングに移行させ始めていた。 TSRがクリンの世界を展開し定義づけることに集中するにつれて、ドラゴンランス・シリーズのモジュールと小説の成功が、ワールド・オブ・グレイホーク・セッティングを傍流に追いやる原因となった。1984年にドラゴンランス・セッティングが出版された時に、その成功に寄与した要因の1つが、トレイシー・ヒックマンとマーガレット・ワイスによる同時に進行された小説シリーズである。ガイギャックスはグレイホークを舞台とした小説が彼のキャンペーン世界に同様の利益をもたらすことができるのを悟り、「グレイホーク・アドベンチャーズ」というシリーズ名の下で第1作目の小説、「サーガ・オブ・オールド・シティ」を執筆した。主役はゴード・ザ・ローグ(英語版)で、この最初の小説は、彼がグレイホーク市のスラム街から身を興して世界的旅行者と並外れたシーフとなるまでを語った。この小説は、フラネスの様々な諸都市や国々の民族や社会的習慣に関する多彩な詳細を提供することにより、ボックスセットの販売を促進するために企画された。 「サーガ・オブ・オールド・シティ」が1985年11月に発売される以前に、ガイギャックスは続編である「アーティファクト・オブ・イーヴル」を執筆した。彼はまた短編小説「アット・ムーンセット・ブラックキャット・カムズ」を執筆し、1985年8月のドラゴン誌100号特別号に掲載された。これは、「サーガ・オブ・オールド・シティ」の発売予定が公表される直前に、ゴード・ザ・ローグをゲーム愛好家達に紹介することとなった
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