ヘッケル(ドイツ)式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 09:17 UTC 版)
現代ファゴットの設計は、演奏家、教師、作曲家であったカール・アルメンレーダー(英語版)によるところが大きい。ドイツの音響研究家ゴットフリート・ウェーバー(英語版)の協力を得て、アルメンレーダーは4オクターブの音域を持つ17キーのファゴットを開発した。アルメンレーダーのファゴットへの改良は、1823年に書かれた論文から始まった。この論文には、キーを補強したり、配置を変えたりすることで、イントネーション、応答性、演奏の技術的な容易さを向上させる方法が書かれている。続く複数の論文で、彼の着想がさらに発展した。ショット社での雇用は、これらの新しい設計に沿って楽器を製作し、試験する自由を与え、アルメンレーダーはその成果をショット社の社内報である Caecilia に発表した。アルメンレーダーは1846年に死去するまで楽器の発表と製作を続け、ベートーヴェンもこれらの論文のことを聞いて、新しく作られた楽器の一つを所望した。1831年、アルメンレーダーはショット社を退職し、パートナーのヨハン・アダム・ヘッケル と自身の製造所を始めた。 ヘッケルとその子、孫はファゴットの洗練化を続け、彼らの楽器が標準となり、他の製作者もそれに続いていった。ヘッケルの楽器は、その優れた歌声の質(アルメンレーダーの楽器の主な欠点の一つの改良)のために、改良ウィーン式、ベーム式ファゴット、アドルフ・サックスの父シャルル=ジョゼフ・サックス(英語版)によって考案された完全にキー機構化された楽器と競合していた。F.W. Kruspeは1893年に後発の試みとして運指の改革を試みたが、流行しなかった。他にも、24キーのモデルやシングルリードのマウスピースなど楽器の改良が試みられたが、いずれも音色に悪影響を与え、断念された。 20世紀に入ると、ヘッケル式のドイツ製ファゴットがこの分野を席巻した。ヘッケル自身も20世紀に入る頃には1,100本以上の楽器を製造していた(シリアルナンバーは3,000本から)。イギリスのメーカーの楽器は交響楽団の音高の変化に対応するためもはや好まれなくなったが、主に軍楽隊で使用され続けた。 1940年代の短い戦時中のボールベアリング製造への転換を除いて、ヘッケル社は現在まで継続して楽器を製造している。ヘッケルのファゴットは多くの人によって最高であると見なされている。他のメーカーからもヘッケル式の楽器がいくつか出ているものの、どれも演奏特性が微妙に異なる。 ファゴットの機構は、現代の木管楽器のほとんどと比較して原始的であるため、メーカーは時折ファゴットを「再発明」しようと試みてきた。1960年代、ジャイルズ・ブリンドリー(英語版)は「ロジカル・バスーン」と呼ばれるファゴットの開発に着手した。このファゴットは、電気的に作動する機構を用いて、人間の手では複雑すぎるキーの組み合わせを可能にし、イントネーションと音色の均一性を向上させることを目的としていた。ブリンドリーのロジカル・ファゴットは市販されることはなかった。
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