ブルティウムでの作戦
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「クロトナの戦い」の記事における「ブルティウムでの作戦」の解説
時間とともにスキピオの推測が正しかったことが証明された。4年の間ローマ軍はブルティウムに注力せざるを得ず、一部はマゴに対応するためにエトルリアとガリア・キサルピナに分派された。紀元前206年には2人の執政官がともにブルティウムを担当していた。カッシウス・ディオは両執政官が積極行動を取らなかったことに関して「ハンニバルは静謐を保つことによって、すでに彼が保持している利点を失わないことに満足していた。ローマ側も待つことによって戦闘を行わずともハンニバルの勢力が弱体化すると信じていた」と述べている。アッピアノスは、ハンニバルはカルタゴからの援軍を待っていたとしている。援軍は実際には到着しなかった。100隻からなる艦隊が、兵士、軍資金、補給物質を持ってカルタゴを出航したが、強風に流されて航路を外れ、サルディニア沖でローマ軍に撃破された。このため、ハンニバルは現地で重税を課し、また私有財産の没収をせざるを得なくなった。当然ながらハンニバルの人気は低下し、反乱も幾つか発生した。信用できない市民達を戦略的に重要な城塞都市から追放し安全を確保したが、ロクリでは失敗した。紀元前205年、スキピオ率いるローマ軍の分遣隊がレギウム(現在のレッジョ・ディ・カラブリア)から派遣され、奇襲によって都市の一部を占領した。ハンニバルはローマ軍撃退のために直ちに移動した。しかしカルタゴの暴政と略奪に敵意を抱いていた市民は、ローマ側に付くことを選んだ。 ロクリはカラブリア半島先端の重要な港湾都市であり、これを失ったハンニバルはクロトナに基地を設置した。クロトナは軍事作戦に適しているだけでなく、他の都市に対する武器庫と司令部として使えた。前年と同様に、ハンニバルはそれぞれ2個軍団からなる2つのローマ軍、1個軍は執政官プブリウス・リキニウス・クラッスス(en)、もう1個軍はプロコンスルのクィントゥス・カエキリウス・メテッルス、と対峙していた。アッピアノスによると、クラッススはコンセンティアを含むブルティウムのカルタゴ側都市の7つを離反させた。これに武力を用いたか交渉によるかは議論が分かれている。また、リウィウスがコンセンティアの降伏はクロトナの戦いの翌年としていることから、これら都市の離反が実際にあったのかも議論されている。またリウィウスによると紀元前205年の特筆すべきできごとはペストの流行であり、ローマ軍、カルタゴ軍双方に大打撃を与え、加えてカルタゴ軍は食料不足に苦しんでいた。通常、執政官は年末には翌年の執政官選挙のためにローマに戻るが、年末になってもペストは蔓延しており、その深刻さのためにクラッススはローマに戻ることができなかった。クラッススは元老院に対して、兵をペストの危険にさらさないために、1個軍の解散を求めた。元老院はクラッススに対して彼が正しいと思うことを実施する権利を与え、またプブリウス・センプロニウス・トゥディタヌスを新任の執政官として、新たに編成した軍を率いてブルティウムに派遣した。 クロトナ近郊での最初の戦いは紀元前204年の夏に発生した。リウィウスによると、行軍中のハンニバル軍とセンプロニウス軍の間の遭遇戦であった。カルタゴ軍が勝利し、ローマ軍は戦死1,200の損害を受けて混乱のうちに野営地に撤退した。ハンニバルは防御された野営地を攻撃する準備はしておらず、このためローマ軍は一掃されることを免れた。とは言え、センプロニウスは激しい一撃を受け、新編成されたローマ軍2個軍団はカルタゴ軍に対抗できないと判断された。センプロニウスは翌日の夜には野営地を放棄し、プロコンスルのクラッススが招聘された.。 センプロニウスはクラッススの軍と合流し、復讐を求めてクロトナに戻った。センプロニウスは彼の軍団を前線に配置し、クラッススの軍を予備とした。リウィウスの記載によれば、ハンニバルは2倍の兵力を有するローマ軍に対抗できず、戦死4,000、捕虜300の損害を受けてクロトナに撤退せざるを得なかった。しかし、ローマ軍がクロトナを攻撃したかは不明である。センプロニウスは他に関心を向け、クランペティアを攻撃した。コンセンティア、パンドシア、およびあまり重要ではない幾つかの都市が、自主的にローマ軍に降伏した。 クロトナ周辺での戦闘は紀元前203年も続いたらしいが、リウィウスは明確には記載していない。リウィウスは特に執政官グナエウス・セルウィリウス・カエピオがカルタゴ軍との会戦で勝利し、カルタゴ兵5,000を戦死させたとの話に懐疑的である。確実なことは、セリウィリウスはハンニバルがアフリカに向かうことを妨害できなかったことである。アッピアノスはカルタゴからの迎えの船に加えて、歴戦のカルタゴ兵を輸送するために、ハンニバルは新たな艦艇を建造したと述べている。これをローマ軍は阻止できなかった。
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