フロン製造開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:24 UTC 版)
1930年(昭和5年)3月米国GMフリディア事業部のトーマス・ミジェリー・ジュニア博士とアルバート・エル・ヘレネ博士はジクロロジフルオロメタン(R-12)(フロン)には毒性・腐食性・引火性・爆発性がなく冷媒ガスとして優れていることを発表し、同年8月には米国で製造販売が始まった。米国海軍はこれを潜水艦の冷凍冷房装置に採用したとの米国海軍機関紙の情報は、潜水艦乗務経験もある海軍少将で顧問の太田十三男から国産化の進言として山田晁にもたらされた。 当時入社3年目で山田とは親戚筋の岡村一夫が「生涯の仕事として取り組みたいので担当させてほしい」と申し出たことで、1933年(昭和8年)11月より今宮工場でフロンの研究が始められ、並行して冷凍機の開発も行われた。1934年(昭和9年)11月には従来のメチルクロライド式ながら試作1号機が完成し、「ミフジレーター」の商標で市場へ送り出した。1936年(昭和11年)7月には、この「ミフジレーター」を南海鉄道の2001形電車に搭載し、日本初の冷房電車とした。フロン合成は岡村一夫と岩城徹により1935年(昭和10年)12月に成功し、1937年(昭和12年)11月には岩城に代わって平田雅人を加え量産化の第一歩を踏み出した。1938年(昭和13年)にはフロン冷凍機も完成し、伊号171潜水艦に試験搭載し良好な成績が得られたが、独自開発とはいえ、先発の米国GMがフロン関連の広範な特許を所有しており、特許権譲渡を申し入れたがかなわず、日米関係が悪化する中1941年(昭和16年)1月11日特許収容令を適用して海軍艦政本部よりフロンの生産命令が出され、1942年(昭和17年)から量産が始まった。 また1929年(昭和4年)には、機械の回転部分や摺動部分への注油器として当時世界最先端であったボッシュ社製に匹敵する「ラショナル注油器」の生産を開始し、多くの商船や艦艇に使用された。
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