フロン生産の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:24 UTC 版)
フロンの特性に対するユーザーの認識の高まりで、各社とも1953年(昭和28年)型の電気冷蔵庫から冷媒を従来のメチルクロライドからフロンに切り替え、1955年(昭和30年)には小型冷凍機分野でフロンがメチルクロライドを上回り、フロンの需要が急増した。このような環境下、品質が安定し大量生産とコストダウンが可能な無水フッ酸を使用した連続生産方式が岡村一夫と小山利一によって開発され、1954年(昭和29年)5月から稼働開始した。 フッ素樹脂 四フッ化エチレン樹脂(ポリテトラフルオロエチレン(PTFE))(商品名:テフロン)はその耐腐食性や摩擦係数の低さから第二次世界大戦中米国で原子力関連機器のため軍需用に使用され、戦後民需にも開放された。岡村一夫はフロンガスをベースにフッ素化学そのものの総合化を図る構想を立て、1952年(昭和27年)1月からフッ素樹脂開発に着手し、1953年(昭和28年)7月には三フッ化塩化エチレン樹脂(PCTFE)「ダイフロン」を、1955年(昭和30年)7月には四フッ化エチレン樹脂(PTFE)の開発に成功し「ポリフロン」と名付けたが、先発のデュポン社のテフロンによる独占体制は強固で苦戦を強いられた。しかしこのような困難な中、1959年(昭和34年)には金属への焼付塗装可能なポリフロンエナメルを、1962年(昭和37年)には継手シール用生テープの原料となるファインパウダーを開発し、その後の飛躍へとつないだ。しかし山田晁の意を受け、30年にわたり一貫してこの分野の開発を推進してきた岡村一夫は1964年(昭和39年)4月24日64歳で死去した。
※この「フロン生産の拡大」の解説は、「山田晁」の解説の一部です。
「フロン生産の拡大」を含む「山田晁」の記事については、「山田晁」の概要を参照ください。
- フロン生産の拡大のページへのリンク