フラメンコ、スペイン舞踊作品での仕事
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「今井重幸」の記事における「フラメンコ、スペイン舞踊作品での仕事」の解説
今井はフラメンコやスペイン舞踊の分野でも大きな足跡を残した。ソシエテ・デ・ザール人脈により、今井と面識があった女優の小松原庸子が本格的にスペイン舞踊への道を踏み出した際、彼女の公演の演出と音楽を引き受けたのがその第一歩となった。今井は小松原の活動の拠点としてスタジオ・アルス・ノーヴァを無償で提供するなど「小松原庸子スペイン舞踊団」創設に助力した。さらに小松原のソル・デ・エスパーニャによる『真夏の夜のフラメンコ』シリーズの企画、スペイン人アーティストの招聘、定期公演の開催などについても全面的に支援した。 1965年(昭和40年)、32歳。『Tota de Taca』(小松原庸子舞踊団 / 第1回リサイタル)の企画・演出・作曲・音楽監督をする。 1966年(昭和41年)、33歳。『第2回小松原庸子スペイン舞踊リサイタル』の構成・演出と作曲をする。 1967年(昭和42年)、34歳。『Alma de Gitana』(小松原庸子&ソル・デ・エスパーニャ舞踊団)の音楽を作曲。『Recital de Flamenco』(小松原庸子スペイン舞踊団)の構成・演出と作曲をする。 1969年(昭和44年)、36歳。『Boda de Sangre(血の婚礼)』(小松原庸子とE・モンテロ&ソル・デ・エスパーニャスペイン舞踊団)の作曲をする。 1970年(昭和45年)、37歳。『Siguiriya Simfonica(シギリヤ・シンフォニカ)』(小松原庸子とE・モンテロ&ソル・デ・エスパーニャスペイン舞踊団)の作曲をする。 1971年(昭和46年)、38歳。『Introduction(序章)』(パトロ・ソト&小松原庸子スペイン舞踊団)の作曲をする。『Noche Verano de Flamenco(真夏の夜のフラメンコ)』(エンリケ・エレディア&小松原庸子スペイン舞踊団の)の作曲をする。 1972年(昭和47年)、39歳。『Duende(F.G.ロルカによる「ドェエンデ」)』(小松原庸子スペイン舞踊団)の作曲をする。 1981年(昭和56年)、48歳。『広島―無の哀しみから』(島みち子スペイン舞踊団)の構成・演出と作曲をする。 1993年(平成5年)、60歳。『Metamorphose Flamenco(メタモルフォーゼ・フラメンコ)』(ルイス・モンテロ&山田惠子スペイン舞踊団 / 河上鈴子賞受賞作)の構成・演出と作曲をする。 1997年(平成9年)、64歳。『Salome de Bruja en Granada(グラナダの妖女サロメ)』(花岡陽子スペイン舞踊リサイタル / 新星日本交響楽団)の音楽を作曲。 2003年(平成15年)、70歳。『ソロンゴ・ヒターノの変容』(山田惠子スペイン舞踊団 / オーケストラ・ニッポニカ)の音楽を作曲。 2005年(平成18年)、73歳。日本フラメンコ協会設立15周年記念では、『Fiesta de Rosa y Cereza(バラと桜と祝祭)』の公演で、構成・台本・音楽・総合演出を担当。「ソレアによる前奏曲」、「モーロ風舞曲」、「古代的舞曲」(Villa di Musica室内管弦楽団)の3曲を作曲。
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