フラム号と開南丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:25 UTC 版)
「アムンセンの南極点遠征」の記事における「フラム号と開南丸」の解説
フラム号は1911年2月15日にクジラ湾を離れた後、ブエノスアイレスに向かって4月17日に到着した。そこでニールセンは遠征隊の資金が尽きていることを知った。船のために取っておかれたと思われていた金は現金化できなかった。幸い、アムンセンの友人ドン・ペドロ・クリストファーセンが近くに居て、以前に約束していた食料と燃料を供給してくれた。フラム号は6月には出港してその後の3か月間、南アメリカとアフリカの間の海洋学調査巡航を行った。9月にはブエノスアイレスに戻り、最終艤装と物資の再積み込みを行い、10月5日に南に向けて出港した。強風と嵐の海のために航海は長引いたが、クジラ湾には1912年1月9日に到着した。1月17日、フラムハイムにいた隊員は2隻目の船が現れたことで驚かされた。それは日本の白瀬矗が指揮する日本南極遠征隊を載せた開南丸だった。2つの遠征隊の間の対話は言葉の問題で限られたものとなったが、日本隊はキングエドワード7世半島に向かっていることが分かった。開南丸は翌日出発し、1月28日にはキングエドワード7世半島に隊員を上陸させた。これは海からこの半島に上陸したことでは初めてのことになった。それまでのディスカバリー遠征(1902年)、ニムロド遠征(1908年)、テラノバ遠征(1911年)全て失敗していた。
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