フォード生産方式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 23:57 UTC 版)
フォード生産方式には以下の3点の特徴があげられる。 製品の標準化 - フォード・モデルTの一車種のみとし、そのバリエーションを長期にわたり生産 部品の規格化 - ヘンリー・リーランドが主導しデトロイトに普及させていたもの 製造工程の細分化(流れ作業化)、ベルトコンベア方式の採用 - 熟練工が必要なくなった これらはフォード社がすべてを最初におこなったわけではなく、またすべて同時に形づくられたものでもない。フォードがおこなった主要な点としては、フォード・モデルTという一車種に絞ったことと、ベルトコンベア方式を採用し流れ作業をさらに効率化したことが特にユニークなところであり、それ以外の点は個別にはすでに他社でおこなわれていたものだった。しかし、それら個々の生産技術をさらに極め、一車種に集中しておこなったことにより、従来に比べて格段に生産能率が上がり、製品を安価に提供できるようになったのであった。1906年にはほぼ形作られていたが、1908年からのT型生産と、その販売好調による1914年の新工場建設に際しベルトコンベアが導入されたことで、フォード生産方式が完成した。この頃、フォード社は良質の鉄を入手するために製鉄所さえも自社で所有するまでになっていた。 (これはフォード社一社だけの生産効率の向上であったが、これによってフォードは一時期、市場を寡占したため、産業界ではこれに対抗したいという意欲が生まれ、業界としての効率化をねらう「業界標準」を生むことにつながった。フォード社は部品会社も含め自動車産業の他の会社とはほとんど関わりをもたなかったため、米国の自動車産業界は、フォード社を除いて、またはフォード社と対立しながら、広く標準化・規格化を推進していった。具体的には、自動車特許でフォードと対立していたALAMでの試行にはじまり、その後、フォードの独占と不況による部品メーカー倒産により危機的状況におかれたハドソン自動車など中小の自動車メーカーが主導しSAE International (「部品の標準化:フォード主義への対抗」の節)で実現した。) 製造工程が極端に単純化されたため、労働者は非人間的な労働を強いられた。この人間疎外の状況を風刺したものとして、チャップリンの『モダン・タイムス』が挙げられる。ただし、ヘンリー・フォード自身は(身内の反対を押し切り)フォード社での作業従事者に対して日当5ドルという当時では破格の給与を保証し、良質の労働者を確保すると同時に労働者への利益の還元を積極的におこなっていた。 1940年代にはこうした大量生産技術はアメリカの工業界全体において高いレベルに達しており、第二次世界大戦後期においてはそれらの生産インフラの急速な軍需への転換により、機械的信頼性の高い兵器を大量に生産(フォード社自身もM4中戦車やジープ、B-24爆撃機などの生産に関わっている)、アメリカ軍や連合国諸国に供給して戦争の勝利に大きく貢献する事となった。
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