フォード社長へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 04:44 UTC 版)
「リー・アイアコッカ」の記事における「フォード社長へ」の解説
社長在任中は、オイルショックと日本製小型車との競争激化を受けて低迷した国内外の販売を、モデルチェンジの末に肥大化したマスタングの小型化や国内販売網の強化、前輪駆動の小型車である「フィエスタ」の導入などを行い乗りきった他、いくつかの不採算事業の売却を行い、経営状況の安定を行った。 一方で、アイアコッカはその優れた手腕とは裏腹に、その社長という地位を利用した公私混同、特にイタリア系の企業との癒着とも言える経営も多かった。副社長時代の1967年には、友人でイタリアのスポーツカーメーカーのデ・トマソを経営するアレハンドロ・デ・トマソが、フォードV8エンジンを搭載した「マングスタ」を登場させるなど、その関係は大人しいものであった。 しかし社長に就任した直後の1970年には、イタリアのコーチビルダーの「ギア」を、アレハンドロ・デ・トマソから買収した上に、デ・トマソをフォードのスポーツカープロジェクトに招聘し、ブランドイメージ向上のために「フォード・GT40のイメージを踏襲するスポーツカー」のプロジェクトを企画した。フォード製5.8リッターV8エンジンを、ギアのトム・ジャーダがデザインしたボディに搭載した高級スポーツカー「パンテーラ」を開発させ、アメリカ国内のリンカーンとマーキュリーのディーラーで販売させるなどしていた。 しかしこの一連のプロジェクトは、デ・トマソには莫大な売却益とアメリカ市場における知名度の向上という恩恵を与えたものの、フォードにとっては製品耐久上の問題をはじめとする、必要のない問題を抱え、利益を与えるものとはならなかったために大きな批判を受けた。なお、この時に買収した「ギア」と「ヴィニャーレ」は現在もフォードが所有しており、フォードの高級グレードなどに使用している。 アイアコッカとヘンリー・フォード2世は、同社の順調な経営成績を背景に当初は良好な関係を築いていた。しかし、アイアコッカは優れた経営手腕を発揮しその名声を高めていく一方で、人一倍自己顕示欲が強いことと、イタリア系の出自を元に徐々に上記のような公私混同ともいえる独断的な経営手法を露にしていき、その手法は1970年代中盤にはだれの目にも明らかになっていった。
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