フォークブームの中で
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デビューアルバムに続き、翌1976年にセカンドアルバム『綱渡り』を発売後、同年7月16日にエレックレコードが倒産。キャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)に移籍し、サードアルバム『藍色の詩』を発表。以降、1984年のアルバム『てっせんの花』まではキャニオンからのリリースとなる。 フォークギターの弾き語りで、女の情念や怨念といった心情を土俗的なイメージとともに哀しく切々と歌い上げ、熱狂的なファンを獲得した。九州弁を活かした歌詞や、日本各地に古くから伝わる伝承歌を題材とした作品もあり、地元の九州や大分、神奈川や横浜のご当地ソングも多数ある。150cm前後の小柄で痩せた体躯から発せられる低音で表現力を誇る歌唱と、暗く鋭く愛をもって社会を抉る歌詞で、デビュー当時は「中島みゆきのライバル」と称された。 1979年4月から1980年3月にかけてはニッポン放送の『オールナイトニッポン』火曜日2部のDJを担当。「深夜放送のマドンナ」と称された。 また映画音楽の制作も手がけ、初の映画音楽として1979年のホラー映画『地獄』の主題歌「心だけ愛して」、挿入歌「きょうだい心中」を担当。この主題歌と挿入歌はシングルとして発売されたが、兄妹の近親姦と心中を扱った「きょうだい心中」は放送禁止歌とされた(ただしこの歌詞は山崎のオリジナルではなく、西日本の各地に伝わる伝承歌を元にしたものである)。 1981年には、九州の炭鉱地帯を舞台とした五木寛之原作の映画『青春の門』の音楽を担当し、主題歌「織江の唄」がヒットした(作詞は五木寛之)。1984年にはベトナム戦争で国を追われたボートピープルを題材としたアン・ホイ監督の香港映画『望郷』(投奔怒海)の主題歌を担当(制作は1982年、1984年日本公開)。1990年には同じ音楽事務所「IMADOKI」に所属する裕木奈江の主演映画 『曖・昧・Me』の音楽制作を担当した。 アルバム『幻想旅行II』の発表時点(1982年)で、発売したLPはそれぞれ5万枚ずつ売れていた。
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