ビザンツ帝国、ビザンティン帝国、ビザンティオン帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:15 UTC 版)
「東ローマ帝国」の記事における「ビザンツ帝国、ビザンティン帝国、ビザンティオン帝国」の解説
この帝国の7世紀頃以降は文化や領土等の点で古代ローマ帝国との違いが顕著であるため、16世紀になると、便宜上「ビザンツ帝国」「ビザンティン帝国」「ビザンティオン帝国」といった別の名称で呼ばれるようになった。16世紀に「ビザンツ帝国」という語の使用が確立されたのは、神聖ローマ帝国の人文主義者メランヒトンの弟子ヒエロニムス・ヴォルフ(英語版)(1516年~1580年)の功績とされる。ヴォルフはビザンツ史が単純なギリシア史ともローマ帝国史とも異なる一分野であることを見抜いた人物で、ヴィルヘルム・ホルツマン、ダヴィッド・ヘッシェル(英語版)、ヨハネス・レウンクラヴィウス(ドイツ語版)、ドゥニー・プトー(英語版)、ヴルカニウス(英語版)、メウルシウス(英語版)、レオ・アラティウス(英語版)ら16世紀から17世紀初頭にかけての多くの学者がヴォルフの例に従った。これ以降、学問領域においては近代を経て現代に至るまで一般に「ビザンツ帝国」の名称が用いられ続けている。これらの名称はコンスタンティノポリスの旧称ビュザンティオンに由来し、「ビザンツ」はドイツ語の名詞 Byzanz、「ビザンティン」は英語の形容詞 Byzantine、「ビザンティオン」はギリシア語の名詞をもとにした表記である。日本においては、歴史学では「ビザンツ」が、美術・建築などの分野では「ビザンティン」が使われることが多く、「ビザンティオン」は英語やドイツ語表記よりもギリシア語表記を重視する立場の研究者によって使用されている。ただし、これらの呼称は帝国が「古代のギリシア・ローマとは異なる世界という考えを前提として」おり、7世紀頃以降の帝国を古代末期のローマ帝国(後期ローマ帝国)と区別するために使われることが多い。例えばオックスフォード・ビザンツ事典(英語版)や人気のある通史であるゲオルク・オストロゴルスキーの『ビザンツ帝国史』やA.H.M.ジョーンズの『後期ローマ帝国』では7世紀に誕生するビザンツ帝国が6世紀までの帝国とは異なる帝国として扱われている。
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