ヒメーネス神父の写本とは? わかりやすく解説

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ヒメーネス神父の写本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 15:11 UTC 版)

ポポル・ヴフ」の記事における「ヒメーネス神父の写本」の解説

1701年ヒメーネス神父はサント・トマス・チチカステナンゴに着いた。この町はキチェ族領地であり、従っておそらく神父ヒメーネス最初に歴史神話編集した場所とされている。ヒメーネス書写翻訳並行して手がけ、キチェ語写本ラテン文字とParra文字発音転写)およびスペイン語訳残した1714年頃、ヒメーネス第2章から第21章スペイン語訳自著Historia de la provincia de San Vicente de Chiapa y Guatemala de la orden de predicadores』1巻組み入れたヒメーネス写本没後ドミニコ会所有保管されていたが、1829年1830年にわたりフランシスコ・モラサン将軍グアテマラから聖職者追放したことで、ドミニコ会書物大部分サン・カルロス・デ・グアテマラ大学移管された。 1852年から1855年まで、モーリッツ・ワグナーとカール・フォン・シェルツァー(英語版医師中央アメリカ旅行し1854年5月初旬グアテマラシティ到着した。シェルツァーはサンカルロス大学図書館ヒメーネス著作を見つけ、その中の「del mayor interes(最も興味深い)」という特定の項目に着目したグアテマラの歴史家にしてアーキビストのフアン・ガバレーテ (Juan Gavarrete) の助力得て、シェルツァーは写本後半からスペイン語内容写し取り(または写本作成し)、ヨーロッパに戻ると公表した1855年フランス大修道院シャルル・エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブールブールもまた大学図書館ヒメーネス著作見つけたしかしながら、シェルツァーが写本コピーしたのに対しブラッスール明白に大学文献無断持ち出しフランス持ち帰ったブラッスール死後1874年に、ポポル・ヴフを含むメキシコ - グアテマラ地方蒐集品がアルフォンス・ピナール (en) の手経てエドワード・E・エア (en) に売却された。エア1897年自身1万7000点の収蔵品シカゴニューベリー図書館 (en) に寄贈する決めたが、この計画実現1911年まで待つことになる。ヒメーネス神父による『ポポル・ヴフ』の書写翻訳本は、エアからの受贈品に含まれている。 1941年にA・レシーノス(英語版)がニューベリー図書館で(再)発見するまで、ヒメーネス神父の写本は行方不明とされていた。一般に通説では、ヒメーネス写本直接編集したのはシェルツァー以降発見者のレシーノスが初めてとされてきた。しかしマンロー・S・エドモンソン英語版)とカルロス・ロペスは、最初の(再)発見1928年のウォルター・レーマン (en) と考えている。アレン・クリステンソン、ネストー・キロア、ジョン・ウッドラフカルロス・ロペスの説では、いずれもニューベリー図書館蔵書ヒメーネス唯一のオリジナル」と見なしている。

※この「ヒメーネス神父の写本」の解説は、「ポポル・ヴフ」の解説の一部です。
「ヒメーネス神父の写本」を含む「ポポル・ヴフ」の記事については、「ポポル・ヴフ」の概要を参照ください。

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