ヒメラの位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 22:32 UTC 版)
多数の遺物と、さらには温泉そのものから、テルマエの位置に関しては疑問の余地はないが、より古代の都市であるヒメラの場所に関しては最近まで議論の対象となっていた。ヒメラの名前はヒメラ川に由来するものであるが、16-17世紀の歴史家フィリップ・クルーヴァー(ee)は、テルミニのすぐ西を流れるサン・レオナルド川がヒメラ川で、ヒメラはその左岸にあったと考え、19世紀まではそれが主流となっていた。この仮説では、住民は川の左岸から右岸に移動しただけであり、ヒメラとテルマエが同一の都市と認識されていたことを説明できる。他方で、サン・レオナルド川がヒメラ川であると仮定するには問題点もあった;ヒメラ川に関する各種のデータは、16世紀の歴史家であるトマソ・ファッツェーロ(en)が唱えたように、その河口がテルミニの東8マイルにある現在のグランデ川(en)と一致する。現在では殆どの学者がこの説を受け入れている。キケロが「新しい都市は古い都市から遠くない場所に建設された」と記載してることから、8マイルの距離は離れすぎているとは言えないし、また「同じ領域」との説明もあることから、非常に近接していた訳でもないと推定される。さらに付け加えるならば、カルタゴ人にとって自身の植民都市であるソルスやパノルムスに近い場所に新しい都市を建設する(すなわちヒメラより西側)ことが望ましかったと思われる。ファッツェーロの説は、周囲の状況からも裏付けられている。海岸沿いのトッレ・ディ・ボンフォルネッロ(グランデ川の左岸で河口近く)をヒメラとするもので、そこには何の遺跡も残ってはいなかったが、花瓶や青銅製品、また多くの墓室が発掘されていた。他方、クルーヴァーも他の歴史家も、ヒメラ川西岸の古代の遺物に気づいていなかった。
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