バロックという概念の誕生と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 15:40 UTC 版)
「バロック」の記事における「バロックという概念の誕生と発展」の解説
バロックという語は、真珠や宝石のいびつな形を指すポルトガル語のbarrocoから来ているとする説が有力である(ただし名詞barrocoはもともとはいびつな丸い大岩や、穴や、窪地などを指していた。いずれにせよ、この語にはいびつさの概念が含まれていたと思われる)。一方、ベネデット・クローチェによれば、中世の学者が論理体系を構築するうえで複雑で難解な論法を指すのに使ったラテン語のbarocoからきたともされる。そのほか詐欺を意味する中世イタリア語のbarocchioや、バロック初期の画家フェデリコ・バロッチを由来とする説もある。 現在の意味での「バロック」という語は、様式の時期や呼称の大半がそうであるように、後世の美術評論家によって作り出されたものであり、17-18世紀の当事者によるものではなかった。当時の芸術家は自身を「バロック」ではなく古典主義であると考えていた。彼らは中世のフォルムや、建築のオーダーや、ペディメントや、古典的なモデナチュールといったギリシア・ローマの題材を利用していた。「バロック」の語は16世紀末のローマで生まれた。フランスでは、この語は1531年には真珠について用いられており、17世紀末には比喩的な意味で用いられるようになった。 1694年(バロック期の最中)には、この語はアカデミー・フランセーズの辞書では「極めて不完全な丸さを持つ真珠のみについて言う。『バロック真珠のネックレス』」 と定義されていた。1762年、バロック期の終結した頃には、第1義に加え「比喩的な意味で、いびつ、奇妙、不規則さも指す。」 という定義が加わった。19世紀には、アカデミーは定義の順序を入れ替え、比喩的な意味を第1義とした。1855年になって初めて、スイスの美術史家ヤーコプ・ブルクハルトが『チチェローネ イタリアの美術品鑑賞の手引き』 においてバロックという語をルネサンスに続く時期と芸術を表すのに用いた。この用法が生まれたのがドイツ文化圏であったのは偶然ではない。フランスやイギリスは様式の変化を表すのに(「ルイ14世様式」のように)その王の名を使用することができたが、ドイツは当時Kleinstaatereiと呼ばれる無数の小国家に分裂していたのである。 さらに1世代後の1878年になってようやく「バロック様式」がアカデミーの辞書の見出しとなり、定義の軽蔑的な意味合いも薄まった。皇后ウジェニーは気取ったものやルイ15世様式を再び流行させ、今日ネオバロック(バロックリバイバル)と呼ばれる様式が生まれた。バロックの復権が始まり、スイスの美術史家ハインリヒ・ヴェルフリン(1864-1945)はその著作でこのバロックというものが如何に複雑であり、激動し、不規則であり、そして根底においては奇妙である以上に魅惑的であるかを示してみせた。 ヴェルフリンはバロックを「一斉に輸入された運動」、ルネサンス芸術へのアンチテーゼとして定義した。ヴェルフリンは今日の著述家たちのようにはマニエリスムとバロックの間に区別を設けず、また18世紀前半に開花したロココという相も無視していた。フランスとイギリスではその研究はドイツの学界でヴェルフリンが支配的な影響力を獲得するまでまともに受け止められなかった。
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