ハラルト
ハラルト (Harald)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 03:45 UTC 版)
「ゲッベルス家の子どもたち」の記事における「ハラルト (Harald)」の解説
詳細は「ハラルト・クヴァント(英語版)」を参照 マクダ・フリートレンダーは1921年1月4日に実業家のギュンター・クヴァントと最初の結婚をし、1921年11月1日にマクダにとって第1子となるハラルトを出産した。しかしその後クヴァント夫妻の婚姻関係は破綻し、1929年に離婚した。その後マクダは1930年9月1日にナチ党へ入党したが、当初はボランティア活動を行っており、熱心に政治活動に参加していたわけではなかった。マクダはその後、地方の支局からベルリンにある党本部へ移り、ヨーゼフ・ゲッベルスの私的論文を任されることになる。マクダとヨーゼフが恋愛関係になるのは、1931年2月に友人たちと行った短期のヴァイマル旅行中のことだった。ふたりが結婚したのは1931年12月19日のことで、結婚式にはアドルフ・ヒトラーも出席した。 ハラルトは母とヨーゼフの結婚式に参加しただけでなく、養父との繋がりも示すことになった。時にはヨーゼフと共に集会に出席し、ヒトラーユーゲントの制服を着て「ヨーゼフおじさん」のそばに登壇したりした。ヨーゼフは大臣に就任した後、ハラルトとゲッベルス家で同居するために、マクダを離婚条項上の義務から解放するようギュンター・クヴァントへ要求し、それをうけてハラルトは1934年までにゲッベルス家へと完全に移住した。 その後ハラルトは、1940年にドイツ空軍に志願入隊して降下猟兵となり、クレタ島の戦いを皮切りに各地を転戦した。1944年9月にイタリアで重傷を負ってイギリス軍の捕虜となり、最終階級は中尉であった。ハラルトは結果として、唯一第二次世界大戦を生き延びたマクダの子となった。1954年に実父ギュンターが死亡するとクヴァント家の財産と事業を相続し、1950年代から60年代にかけ、彼は西ドイツ経済を引っ張る実業界の大物となる。ハラルトは1967年に自家用飛行機の事故を起こしてイタリアで死亡したが、その際には妻と5人の子どもを遺すことになった。
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