ゲッベルス家の子供たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 10:04 UTC 版)
「マクダ・ゲッベルス」の記事における「ゲッベルス家の子供たち」の解説
2人の間には6人の子供が生まれた。 長女 ヘルガ(1932年9月1日 - 1945年5月1日) 次女 ヒルデ(1934年4月13日 - 1945年5月1日) 長男 ヘルムート(1935年10月2日 - 1945年5月1日) 三女 ヘッダ(1937年2月19日 - 1945年5月1日) 四女 ホルデ(1938年5月1日 - 1945年5月1日) 五女 ハイデ(1940年10月20日 - 1945年5月1日) このほかクヴァント家に生まれた息子ハラルトはゲッベルスと養子縁組をしている。 子供たち全員がHの頭文字で始まる名前であることについて、ヒトラーのHではないかと言われるが、これは真実とは言えない。例えば、マクダはゲッベルスの第一子を妊娠した時、クヴァント家の亡き息子の名にこだわってヘルムートという名前を付けたかったが、結局女の子であったため急遽ヘルガと命名した。ホルデが生まれたときも、取り上げてくれた医師が「なんて可愛い!(可愛いはドイツ語で hold)」と言ったからであり、後から見て偶然そうだったという程度のものである。ゲッベルスは結婚後も女性との交際が激しく、マクダもゲッベルスの副官カール・ハンケとの仲を取りざたされるなど、ゴシップの絶えない夫婦であったが、夫妻には6人の子供たちがおり、金髪で美しく賢いマクダは理想的な女性として見なされた。選挙民の半分が女性であることを考慮してヒトラーは独身で通していたため、第三帝国のファーストレディの責務はマクダが担うことになり、賓客のレセプション、舞踏会、外交といった華やかな舞台で活躍した。1933年頃より「ドイツの理想の母」としてラジオや国内外の新聞を通じてプロパガンダに努めるようになっていく。また、マクダは自分に似てゲルマンらしい風貌の自分の子供たちの出演(大戦下の1942年には34回にも上った)する週間ニュース映画を撮影させて、ゲルマン人こそアーリア人の血統を継ぐ民族という当時の思想を宣伝しようとした。マクダは多忙で家にいることはほとんどなく、実際に子供たちの世話をしていたのは何人かの子守の女性と家庭教師たちであった。
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