ハラルド・エックル時代 (2002年-2006年)
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「カワサキ・モータース・レーシング」の記事における「ハラルド・エックル時代 (2002年-2006年)」の解説
「カワサキ・ZX-RR」も参照 カワサキは2002年シーズンの終盤からニンジャ・ZX-RRを駆ってMotoGPクラスに参戦を開始した。チームは、スーパーバイク世界選手権から引き続いてハラルド・エックルが運営を担当した。 2002年の前半は全日本ロードレース選手権のプロトタイプクラスにデータ収集を兼ねて参戦、ロードレース世界選手権には第13戦のパシフィックGPでデビューを果たした。柳川明がライダーを務めたがエンジンブローによりクラッシュ、重傷を負ってしまう苦いデビュー戦となってしまった。シーズン残り3戦はアンドリュー・ピットが代役を務めたが、毎戦ほぼ最後尾を走り、他チームとの差の大きさを露呈していた。 2003年はギャリー・マッコイとアンドリュー・ピットの2台体制で臨んだが、依然パフォーマンスは向上せず、マッコイがシリーズ22位、ピットが26位に沈んだ。 2004年は中野真矢とアレックス・ホフマンのペアとなり、マシンもリニューアルされ非常にコンパクトになった。中野がもてぎで3位表彰台に立つ活躍を見せ、シリーズ10位に入った。ホフマンはシリーズ15位だった。 2005年は中野とホフマンのペアが継続となった。ホフマンは何回かケガで欠場することになり、オリビエ・ジャックが代役を務めた。ジャックは雨の上海で2位表彰台に立ち、カワサキの最高峰クラスでのベストリザルトを更新した。中野は表彰台には登れなかったもののコンスタントにシングルフィニッシュを果たしシリーズ10位、ジャックがシリーズ17位、ホフマンがシリーズ19位となった。この年、2003年までヤマハのMotoGPマシン開発を担当していた依田一郎が加入してる。 2006年は中野とランディ・ド・プニエのペアとなった。中野はダッチTTで2位表彰台を獲得する活躍を見せたが、転倒リタイヤも多く、シリーズ14位に終わった。ド・プニエはシリーズ16位だった。2006年のシーズン終了後、ハラルド・エックルが他チーム(イルモア)と深く関わりを持ち、技術情報をリークした疑いが持ち上がったため、カワサキはエックルとの契約を急きょ打ち切った。
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