ギュンター・クヴァントとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 10:04 UTC 版)
「マクダ・ゲッベルス」の記事における「ギュンター・クヴァントとの結婚」の解説
1920年、美しく成長した19歳のマクダは列車内で38歳の裕福なドイツ人実業家ギュンター・クヴァントに出会い、クヴァントはその二日後、家族の知己を装って寄宿舎のマクダを訪れている。クヴァントは前妻を亡くした二人の子持ちである上、外見も魅力に乏しかったものの、裕福で将来性があり、マクダに跪いて大げさな身振りで靴を拭くなど上流風の言動でマクダを口説いたため、マクダはクヴァントとの結婚を考えるようになった。結婚前、マクダは自らの姓を一目でユダヤ系とわかるフリートレンダーから一旦リッチェルに戻し、信仰もカトリックからプロテスタントに改めている。マクダとクヴァントは1921年1月4日に結婚し、同年11月1日長男ハラルト(ドイツ語版)が誕生。しかし子育てに追われて上流の文化的な生活もままならず、またなかなか家で過ごす時間のない夫への不満の中、マクダは5歳年下の継子ヘルムートに魅かれていった。しかしそのヘルムートは盲腸炎の合併症で1927年に死亡する。マクダとクヴァントは次第に疎遠になっていき、1928年5月、ある学生との不貞を探偵からの報告で知ったクヴァントはマクダを家から追い出した。しかし、マクダは家を出る前に夫の信用にかかわる手紙を抽斗から盗んで夫を脅迫し、家具を含めた住居費50,000ライヒスマルク、病気治療費20,000ライヒスマルクと、月々4,000ライヒスマルクの生活費を受け取ることに成功した(当時の一般労働者の月収は約150ライヒスマルク)。翌1929年、正式に離婚が成立する。
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