ハラの時代(1996-2011年)
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「ナショナル セミコンダクター」の記事における「ハラの時代(1996-2011年)」の解説
1996年5月3日、NSは新たな会長兼社長兼CEOとしてブライアン・L・ハラが就任することを発表した。ハラはLSIロジックの製品担当副社長を務めていた人物で、それ以前は14年間インテルに在籍していた。ハラはアナログ技術を中核とするアメリオ路線を踏襲し、さらに推進していった。 しかし同時に製品が不十分な領域があるとして、パーソナルコンピュータとグラフィックス分野へと進出することを決めた。ハラは System-on-a-chip の一種である PC-on-a-chip を事業の目指す方向だとした。かつて在籍していたLSIロジックでも同様のコンセプトで成功を収めていた経緯がある。ただし、LSIロジックはインテルと競合することになるPC分野の技術と関わることは避けていた。ハラは、今後パーソナルコンピュータよりも情報家電が多く売れるようになるというトレンドを予測しており、2000年にはPCよりも情報家電の売り上げが大きくなるとした。 このビジョンを実現するため、NSは同社に不足しているテクノロジーを企業買収で補い始めた。シーラス・ロジックの PicoPower 事業(小型機器向けデバイス)、Mediamatics Inc.(マルチメディア接続性製品)、Future Integrated Systems Inc.(PCグラフィックス)、Gulbransen Inc.(デジタルオーディオ)、ComCore Semiconductor Inc.(LAN向けDSP)、そしてx86クローンを製造していたサイリックスといった企業を買収した。 1997年3月11日、NSは分離したフェアチャイルドをフェアチャイルドの経営陣に5億5000万ドルで買い取らせることを発表した。その際、フェアチャイルドをシティコープ系のベンチャーキャピタルが財政的に支援することになった。この新たなフェアチャイルドはアメリオ時代に Standard Products グループと呼ばれていた利益率の低い部門が母体である。偶然にも、サイリックスの買収価格も5億5000万ドルだった。 1997年11月17日、NSとサイリックスは合併を発表。これにより、サイリックスはNSの完全子会社となった。これに先駆けてハラは、system-on-a-chip 事業推進の一環としてローエンドCPU市場に注力し、サイリックスが開発を進めていたハイエンドの 6x86MX の設計には重点を置かないことを強調していた。しかしサイリックス側は、NSと合併しても開発計画やマーケティング計画に変更は無いと発表している。 独立心旺盛なサイリックスを買収したことで、NSはインテルの協力者から敵対者へと見られるようになった。インテルとの間のビジネスはなくなった。インテルとの関係が修復されるのはサイリックスを売却した後のことである。また、サイリックスはチップ製造をIBMのマイクロエレクトロニクス部門に委託していたが、NSは自社工場での製造に切り換える予定だった。しかし、IBMとの契約があり、NSはその点でも苦労することになった。 NSはプロセッサ事業で莫大な損失を抱えることになり、1999年サイリックスのPC向けマイクロプロセッサ部門を VIA Technologies に売却すると発表した。 2000年6月28日、TSMCからメイン州サウスポートランドのNSの工場にTSMCの持つ最新製造技術を移転する契約を結んだ。 2003年、サイリックスの残りの部門(組み込み用マイクロプロセッサ部門)を米アドバンスト・マイクロ・デバイセズ (AMD) に売却した。 2009年3月11日、中国蘇州市の工場とテキサス州アーリントンの工場を廃止する計画であることを発表した。
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