ニッキーシックスとは? わかりやすく解説

ニッキー・シックス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 08:08 UTC 版)

ニッキー・シックス
Nikki Sixx
Nikki Sixx, September 2007. Photograph by Christopher Peterson.
基本情報
出生名 Frank Carlton Serafino Feranna Jr.
生誕 (1958-12-11) 1958年12月11日(66歳)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンノゼ
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス
ジャンル ヘヴィ・メタル
グラム・メタル
担当楽器 ベース
活動期間 1981年 -
共同作業者 モトリー・クルー
ブライズ・オブ・ディストラクション
シックス:A.M.
公式サイト Nikki Sixx official Facebook
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フランク・カールトン・セラフィノ・フェランナ・ジュニアFrank Carlton Serafino Feranna Jr.1958年12月11日 ) ことニッキー・シックス (Nikki Six)は、アメリカ合衆国のロック・バンド、モトリー・クルーベーシストで、リーダー。

「ロック界の反逆児」と呼ばれる。

作詞の才能に秀でており、実体験から綴るリリックで多くの楽曲を生み出している。他にも実験的なバンドを結成し、58や、ブライズ・オブ・ディストラクションでアルバムを発表している。

ニッキー・シックスという名は彼のバンドネームであったが、1981年に法的な手続きを行い、本名となった。

身長184cm。

来歴

1958年12月11日、カリフォルニア州ロサンゼルスで誕生する。父親は蒸発したため、母親と、母親の“乱暴なボーイフレンド”に育てられる。ニッキーが6歳の時、メキシコへ少しの間移住し、祖父母の住むアイダホに短期間、その後また母親とテキサス州エルパソへと移動し、ニューメキシコ州アンソニーの後、再度、祖父母の住むアイダホへ戻る。母親とは、また別に暮らすことになる。

上述の家庭環境から、10代になると破壊的になり、隣家に侵入したり、ドラッグを販売するために学校から薬剤を盗んだりするなどの悪行に手を染めており、彼の祖父母は手におえず、ニッキーを母親のいるシアトルへ送った。彼はそこに短期間だけ住み、現地の楽器屋で盗んだギターを売って稼いだお金でベースを購入し学ぶ。

17歳になり、ニッキーはロサンゼルスへ移住、酒屋と製造工場で働き、そこでシスターというバンドのオーディションをW.A.S.P.ブラッキー・ローレスと一緒に受ける。その後、ロンドンというバンドを組んだが、すぐにバンドを抜け、その間に出会ったトミー・リーミック・マーズと共にモトリー・クルーを結成する。

当初は良いヴォーカリストが見つからず、中々良い感触が得られなかったが、モトリー・クルーは地元で着実に人気を博していく。ほとんどは、ニッキーとトミーのルックスからくるものだった。ある日、新聞広告にヴォーカリスト募集の記事を載せ、その頃同じくロック・キャンディというバンドで活躍していたヴィンス・ニールが応募してくるが、1回目のオーディションには現れず、2回目に開いたオーディションには遅刻して現れたが、その声が一番マッチしていると感じたため、メンバーとして迎え入れた。メンバーのほとんどが、当時はまだ10代の若さだった。その頃の詳細は、自伝「The Dirt」に書綴られている。

1981年11月7日には、裁判所に書類を提出してFrank Carlton Serafino Feranna Jr.からNikki Sixxに正式改名した。

アルコール、ドラッグ中毒になり、1987年12月23日に、ヘロインの過剰摂取により心停止を起し、生死をさまよう。そんな状態のニッキーを発見した2人の人物が、当時一緒にツアーをしていたスラッシュダフ・マッケイガンだった(一説では、発作直前まで一緒にヘロインを打っていたのはスラッシュで、驚愕したスラッシュがダフに助けを求めたとある)。緊急医療によりなんとか一命を取り留め、それを機にヘロインから手を引いた。一時はに苦しみ自宅に引きこもったが、セラピーと投薬治療によって立ち直った[1]

1999年からは、プロデューサーとして「LAIDLOW」「58」といったバンドのアルバム制作に携わる。「58」には、自身もベーシストとして参加。自身のアクセサリーブランド「Outlow」から、シルバーアクセサリーの販売も行う。

2002年には、元L.A.ガンズトレイシー・ガンズらと共にブライズ・オブ・ディストラクションを結成し、来日も果たしている(現在は脱退)。

2007年に、自らヘロイン中毒で生死を彷徨った時期に書かれた日記を元にした書籍「The Heroin Diaries」と、そのサントラともいえる同名のアルバムをSixx:A.M.(英語: Sixx:A.M.(当時ガンズ・アンド・ローゼスDJアシュバ、プロデューサーでボーカルのジェームス・マイケルと3人のプロジェクトで、3人の名前をつなげたもの)名義で発売した。2011年「This Is Gonna Hurt」、2014年「Modern Vintage」、2016年「Prayers for the Damned」とアルバムをリリース。2015年2月19日にはVAMPS主催イベントに参加という形で初来日公演を行った(VAMPARK FEST、日本武道館)。2015年4月のアメリカツアーでは、全12公演のサポート・アクトをVAMPSが務めた。

人物

指の関節に「1958」・「SIXX」というタトゥーを入れている。「ニッキー・シックスの代わりにベースを弾いていた」と言う人物が現れ裁判になったことから、本人と分かるように体中にタトゥーを入れているが、それらのほとんどが日本で彫られたものである。また、トレードマークの髑髏が描いてある帽子を身に着けているミック・マーズのタトゥーも彫ってある。

ベースは、ギブソン・サンダーバードB.C.リッチ・ワーロックを愛用。ギブソン・サンダーバードについては、自身のシグネチャーモデル、Nikki Sixx Signature Thunderbird Bassが販売されている。

2度の離婚歴がある。プレイメイトのブランディ・ブラントと結婚する。子供が生まれるが、その後離婚。その後、プレイメイトドナ・デリコと再婚し、離婚。

来日したときに胸と腕に入れ墨を入れた。心臓に近い部分に「魂」という漢字を彫っている[2]

脚注

外部リンク


ニッキー・シックス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:37 UTC 版)

モトリー・クルー」の記事における「ニッキー・シックス」の解説

ある男が「バイク事故起こしベース弾けなくなったニッキー代わりに自分ベース弾いた」と主張印税巡り、男が裁判所訴えたことがある上の項で説明されている1988年訴訟事件のこと)。もちろんその訴え取り下げられたが、それ以来ニッキー偽者間違われないよう全身刺青施していった。 小学生の頃は、いじめられっ子だった。ある時上級生ニッキー押し倒し昼食代を渡すまで踏みつけにする、ということが7回あった後、もう許すまいと誓った彼は、翌朝アポロ13号の絵の付いた金属製弁当箱に石をいっぱい詰めて学校持参し学校に着くやその弁当箱振り回しいじめっ子達殴打するという仕返し行った。 『シャウト・アット・ザ・デヴィルリリース前当時ランナウェイズリタ・フォード同棲していたニッキーは、黒魔術凝っていた。本人は軽い気持ちでの行為だったが、部屋コップや皿が飛んだり、不吉なことが多発したため、フォード当時マネージャー懇願により黒魔術からは手を引いたヘロイン過剰摂取で、心臓が2分間停止した事がある。元ガンズ・アンド・ローゼススティーヴン・アドラーによって発見され周り慌てている最中張本人ニッキー幽体離脱していたが、救急車運ばれる瞬間に、「誰かに足をつかまれるような感じがして、それに引っ張られ自分の体に復帰した」という。しかし、蘇生した直後、あまりの激痛により、また気を失う次に目を覚ましたのは病院であり、そこに事情聴取来ていた警察口論になり、また失神次に目を覚ました直後病院脱走病院まで心配で駆けつけていたファン目の当たりにしたニッキー感動、「二度とドラッグはしない」と約束し、家まで車で送ってもらう。しかし、周りは彼が死んだ思っており、家に沢山のマスコミ駆けつけていたため、バレないよう裏口から家に入る。そしてその光景がなんとも愉快だったニッキー最初にしたことは、留守番電話メッセージを「やあ、こちらニッキー死んまったんで、家にはいません。」に変えることだった。そしてバスルーム行き電話から鳴っている「やあ、こちらニッキー死んまったんで、家にはいません」というメッセージ聞きながら、ヘロイン打ち、また気絶プレイメイトのブランディ・ブラントと結婚子供生まれる。その後離婚その後同じくプレイメイトドナ・デリコ再婚し、再び離婚

※この「ニッキー・シックス」の解説は、「モトリー・クルー」の解説の一部です。
「ニッキー・シックス」を含む「モトリー・クルー」の記事については、「モトリー・クルー」の概要を参照ください。

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