ニッキー・サラプとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ニッキー・サラプの意味・解説 

ニッキー・サラプ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/04 13:37 UTC 版)

ニッキー・サラプ
名前
本名 Nicky Salapu
ラテン文字 Nicky SALAPU
基本情報
国籍 アメリカ領サモア
生年月日 (1980-09-13) 1980年9月13日(42歳)
出身地 パゴパゴ
身長 182cm
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2008
2008
2012-2013
パンサ・イーストFC
SCマウアーバッハ
ミトラ・クカールFC
代表歴
2001-2015 アメリカ領サモア 17 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ニッキー・サラプNicky Salapu, 1980年9月13日 - )は、アメリカ領サモアパゴパゴ出身の元サッカー選手

来歴

2000年から2008年まで国内(FFASサッカーリーグ)のパンサ・イーストFCに所属。その後は、オーストリア地域リーグのSCマウアーバッハやインドネシア・スーパーリーグのミトラ・クカールFCでプレーした。

アメリカ領サモア代表では2001年からワールドカップ予選などに出場している。このうち、2001年4月11日オーストラリアで行われたオーストラリア代表との試合にも出場し、国際Aマッチワースト記録となる1試合31被ゴールを浴びた(詳細は、オーストラリア 31-0 アメリカ領サモア参照)。この試合がトラウマになり、以後のサッカー人生にも影響を与えたと2013年イギリス製作の映画『ネクスト・ゴール!世界最弱のサッカー代表チーム0対31からの挑戦』に出演した際、語った[1]。アメリカ領サモア代表としては最多の17試合に出場している。

2007年にサモアで行われたパシフィックゲームズでは、ハワイからの便に乗り遅れたため出場できず、17歳のジョーダン・ペニツシ英語版が代わりに出場した。最終戦のトンガ戦には間に合ったが、起用されることはなかった。

2008年に一旦現役を引退し、アメリカ合衆国本土に移住するも後に現役復帰。2011年11月22日に行われたワールドカップ・オセアニア1次予選トンガ戦では1失点に抑え、代表の1983年ウォリス・フツナ戦以来の勝利と[2]1994年以来17年間で30連敗中だったFIFA公式戦初勝利に貢献した[3][4]

代表歴

アメリカ領サモア代表(2001-)17試合0得点

出場大会

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ニッキー・サラプ」の関連用語

ニッキー・サラプのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ニッキー・サラプのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのニッキー・サラプ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS