ナイルの聖母マリア
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「スコラスティック・ムカソンガ」の記事における「ナイルの聖母マリア」の解説
2012年に発表した『ナイルの聖母マリア』は最初の長編小説で、実体験に根差しながらも、フィクションによって初めて可能となる新たな次元を切り開いた。これは、一つには、ルワンダでタブーとされ、ルワンダ語には存在しない言葉や概念(たとえば性を表わす言葉)などをフランス語では自由に表現できるためであり、これによって、ルワンダの現実に即したこれまでの作品から、「父のお蔭で学ぶことのできた」フランス語の可能性を追求する作品へと転換を図ることになった。 小説の舞台となる学校は、母校ノートル=ダム・ド・シトーをモデルに「ノートル=ダム・デュ・ニル(ナイルの聖母マリア)」と名付けられた。「ナイル川」の水源とされる標高2,500メートルの山岳地帯にある寄宿制の女子校である。ムカソンガの母校と同様に修道院が経営する、有力者の娘たちのための学校であり、したがって、女生徒一人ひとりが、父親がルワンダ社会において担っている役割を反映し、しかも、植民者によってもたらされたキリスト教の教義に基づく教育が行われている。時代背景もルワンダ・クーデター前夜の混乱からムカソンガ自身が祖国を後にすることになった1973年に設定され、生徒数に占めるツチ族の割合も10%で、20人のクラスにツチは2人である。ムカソンガはこの作品において、「和解のためにはまず、なぜ分裂したかを理解しなければならない」、そのためにルワンダ虐殺につながった憎しみの連鎖がどのように生じたかを説明したかったという。本書の書評でも、「恐怖・憎悪への道を余儀なくされた社会を描いている」、「最終的に1994年の虐殺につながった社会的・人種的衝突の一場面である」と評されている。 『ナイルの聖母マリア』は2012年のルノードー賞を受賞した。ムカソンガは、ルノードー賞は彼女にとって「賞」ではなく一種の承認であって、「家族が私に期待したことが正しかったと認められた」、父が「ムカソンガ」という名前に込めた期待 ―「頂点を極めた女」という役割を果たした、と感じている。『ナイルの聖母マリア』はルノードー賞のほか、アマドゥ・クルマ賞(フランス語版)、フランス語圏大使賞(コペンハーゲン)など多くの文学賞を受賞した(著書・受賞参照)。
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