ドイツ帝国及びヴァイマル共和国
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「ポライモス」の記事における「ドイツ帝国及びヴァイマル共和国」の解説
人種に纏わる疑似科学の発展と近代化が、結果としてドイツ帝国及びヴァイマル共和国による反ロマ政策を招くことになる。 1899年には公安警察が、ジプシー情報サービスをミュンヘンの帝国警察本部に設置。目的はロマ共同体に関する情報(身分証明書、指紋、写真など)収集や断続的な監視であった。 ヴァイマル共和国期にはプールや公園、その他娯楽施設への入場を禁じられ、ドイツはもとよりヨーロッパ中で犯罪者やスパイの烙印が押されてしまう。 1926年までには、この「人種的パニック」が法にまで及んだ。バイエルン州でジプシー・浮浪者・怠惰者闘争法が施行、「ジプシー」とされた集団は州内の移動が禁じられたのである。なお、既に州内に居住している集団に関しては、治安面での恐れが無くなるまで監視下に置かれた。ヘルベルト・ホイスは「このバイエルン州の法が、国内の他州や近隣諸国のモデルにさえなった」としている。 また、ロマに対して特定地域への定住を求める動きは、ドイツ帝国並びにヴァイマル共和国における反ジプシー政策の要諦となる事が多かった。一旦定住した共同体は、町ないしは都市の1地域に集められ隔離。所謂ゲットーの出現である。この過程で監視や「防犯」に向けた体制が、国を挙げて整備される事となった。 ジプシー・浮浪者・怠惰者闘争法施行後、人種理論に基づく公共政策はロマを迫害の標的とするようになる。1927年、プロイセン州で全てのロマに身分証明書を携行させる法律が可決。8000人のロマが強制的に指紋を採取され、写真撮影された。 2年後、事態はよりエスカレート。1929年、フュッセンにてジプシー脅威法案が提出された他、国内に反ジプシー闘争センターが開所。これにより、証明書を持たないロマの移動を制限し、防犯の手段としてジプシーの恣意的な逮捕・拘留が認められたのである。 これらの法律はヒトラー政権成立前ではあるが、既に人種主義の色彩が濃い。「犯罪との闘い」という前提に基づく政策は「人々との闘い」に転化するに至る。標的とされた集団は最早法律に守られる事無く、人種差別的な政策の被害者となった。
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