ドイツにおける戦時猛獣処分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:44 UTC 版)
「戦時猛獣処分」の記事における「ドイツにおける戦時猛獣処分」の解説
ドイツにおいては、動物園によって事前処分が行われた施設と、行われなかった施設に分かれている。開戦早々にドイツ西部の動物園に対して猛獣を処分せよとの軍命令が出されたとの説があるが、実際には一律処分が実行されたわけではなかった。 ベルリン動物園では事前の殺処分は行われなかった。ベルリンでも近隣住民からはライオンやトラの脱走を恐れる声が上がり、職員の間でもゾウやクマの暴走を危惧する者はあった。しかし、最後まで事前処分は実行されなかった。その代り、戦火によって多数の飼育動物が死亡している。1941年9月7日の空襲でアンテロープ1頭が死亡したのを皮切りに、空襲が激化した1943年にはゾウ7頭やライオン3頭などが死亡した。ベルリン市街戦では壊滅的な打撃を受けたが、1944年末の総数約900頭のうちライオンやハイエナ、ゾウを含む91頭が終戦まで生き残った。 ミュンヘン動物園(en)やフランクフルト動物園では、戦争後期になって空襲が始まった後に、ライオンの殺処分が行われた。 早い時期に事前処分が行われた例としては、ヴッパータールのヴッパータール動物園(en)が挙げられる。ヴッパータールでは、まやかし戦争状態の1940年3月15日に、ヒグマ3頭とホッキョクグマ2頭、ライオン5頭を市当局の命令で射殺した。その後、ヴッパータール動物園は空襲被害こそほとんど受けなかったものの、残りの飼育動物の大半は、戦争末期の混乱の中で職員の手で処分されたり、略奪にあったりして失われた。それでも終戦から数日後には営業を再開したのだった。 なお、戦時中に連合国側においては、「ドイツの動物園の猛獣は全て事前に殺処分された」との事実に反する報道がされていた。1943年には「空襲下のベルリン動物園から動物が大量脱走して機関銃で射殺された」との誤った報道もあった。 また、ドイツでハリー・ピール(en:Harry Piel)監督により制作された映画『パニック』(原題“Panik”, 1943年公開。1953年に再編集版が“Gesprengte Gitter”として公開)では、爆撃により動物園から猛獣が脱走するという筋立てになっていた。この映画の筋立てについては、1940年10月13日のフェルキッシャー・ベオバハターによって早くから紹介されており、日本にも伝わっていた可能性がある。
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