ドイツにおける摂政王子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/30 07:46 UTC 版)
「摂政皇太子」の記事における「ドイツにおける摂政王子」の解説
ドイツで「摂政王子/摂政宮 (Prinzregent)」といえば、一般的にはバイエルン王国の王子ルイトポルトのことである。ルイトポルトは、自分の甥にあたる2人のバイエルン王、すなわち1886年に精神障害と宣告されたルートヴィヒ2世と、即位に先立つ1875年に発狂が宣告されていたオットー1世に代わって、1886年から1912年に没するまで摂政を務めた。 ルイトポルトの摂政時代、バイエルン王国では芸術・文化活動が高揚し、後年「摂政宮時代 (Prinzregentenjahre, Prinzregentenzeit)」と称されるようになった。バイエルンの都市や町には、「摂政宮通り (Prinzregentenstraße)」と名付けられた通りが数多くある。ルイトポルトを讃えて名付けられた組織なども多く、例えば、ミュンヘンには「摂政宮劇場 (Prinzregententheater)」がある。「摂政宮トルテ (Prinzregententorte)」はチョコレート・バタークリームを使った、何層にも重ねたケーキ(タルト)で、ルイトポルトを讃えて名付けられたものである。 ルイトポルトは1912年に没し、その息子ルードヴィッヒが後を継いで摂政宮となった。ルードヴィッヒはその後1年も経たないうちにバイエルン議会の決定によって国王と認められた。
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