ドイツにおける影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/31 16:07 UTC 版)
食料問題に対する人々の不満は次第に政府や戦争に対する不満へとつながっていき、1915年以降各地で暴動やストライキを頻発させ、やがて社会主義者を中心とするドイツ革命、ひいてはドイツの敗戦という形での第一次世界大戦の終結(1918年11月11日)の遠因となる。だが、反面としてそれは大戦後の保守主義者においても、革命と大戦での敗北は食料不足につけこんだ社会主義者とユダヤ人の陰謀であるとする「匕首伝説」を生み出す土壌ともなり、国家社会主義ドイツ労働者党とアドルフ・ヒトラーの台頭へとつながっていく。ヒトラーはカブラの冬で女性や子供が飢えの犠牲にならない社会の実現を訴えて支持を集めた。そして、政権獲得後も自給率の向上と広域経済圏の確立による自給自立を実現させた上で他の大国と対抗していく方針を打ち出す。いわゆる、「ナチ農政」によって第二次世界大戦開戦までに食料の完全自給には至らなかったものの、それでも85%の自給率を達成するに至った。また、広域経済圏の確立とともにポーランドなどの占領地にドイツ人農民を移住させる構想の一部が東部総合計画として現実化された。こうした政策と占領地からの収奪によって第二次世界大戦においては少なくても大戦末期の1944年まではドイツ本土における食料不足の問題は回避された。
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