テレビ作品での仕事
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今井はNHKのテレビジョン放送開始と同時に影絵劇・人形劇の制作スタッフとして加わり、劇音楽を担当した。NHKのテレビ本放送開始以前、今井はすでに演劇・影絵劇・人形劇の劇音楽を書いており、同局が教育番組で今井の活動を取り上げたことが縁となった。学生時代から純音楽を中心に自己の音楽性に磨きをかける一方で、演劇や映像に対しても総合芸術という観点から大いに興味を抱いていた今井だっただけに、テレビ放送という、当時最先端の表現メディアに創作の場を求めたのは自然な流れだったのかもしれない。 1953年(昭和28年)、20歳。『蜘蛛の糸』(NHK / 芥川龍之介原作)、『杜子春』(NHK / 芥川龍之介原作)の劇音楽を担当する。 1954年(昭和29年)、21歳。『山寺の和尚さん』(日本テレビ / 江上フジ原作)などの劇音楽を作曲する。 1955年(昭和30年)、22歳。『ビルマの竪琴』(NHK / 竹山道雄原作 / 芸術祭参加作品)、『宝島』(NHK / ロバート・ルイス・スティーヴンソン原作)などの劇音楽を書く。 1956年(昭和31年)、23歳。『アラジンと不思議なランプ』(NHK / アラビアン・ナイトより)、『走れメロス』(NHK / 太宰治原作 / 芸術祭参加作品)などの劇音楽を手がける。 1963年(昭和39年)、30歳。『世界の裏窓(裏から見た世界旅行)』(TBS)のプロデューサー兼ディレクターを務める。前述のソシエテ・デ・ザール時代の人脈により、テレビ番組を制作するプロダクションから依頼されてのことだった。これは、「名所旧跡や観光地ではない、素顔のヨーロッパ、アメリカを紹介する」というコンセプトで作られたドキュメンタリー番組。日本人の海外渡航が解禁され、パッケージツアーが本格化するのが1965年(昭和31年)であることを考慮すると、当時としてはかなり画期的内容だったのではないかと推察される。今井は、約半年間、ヨーロッパ各国(オランダ、オーストリア、ドイツ、スペインなど)で旺盛な撮影取材を行なった。その間、余暇をみはからって演奏会やバレエ公演などに足繁く通い、芸術家としての見聞を広めていった。アメリカで同番組の取材を終えたのちも独り同国に残り、そのまま単身ニューヨークにおもむいてエドガー・ヴァレーズの門を叩き、師事することになった。中学時代に出会って深い感動を覚えた『イオニザシオン』の作曲家ヴァレーズのもとで今井はさらに多くのことを吸収していった。「とりわけ、創造に対する既成概念からの脱却と、技法における実験精神を学んだ」と本人は語る。このニューヨークでの修行は約1年近く続いた。
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