チーム・カムイ
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(KAMUI ENGINEERING PROJECT) 神麗香(じん れいか) チーム・カムイの監督で19歳(第13話。1992年末~1993年初頭?)の現役女子大生。神コーポレーションの令嬢であり、親から与えられた学資金をもとに1993年にチーム・カムイを旗揚げし、F1参戦を開始する。勝つ為には手段を選ばない冷徹な性格。参戦当初からレラ(俊郎)をライバル視しており、妨害とはいかないまでも様々な手でレラを苦しめる。1994年シーズン中盤、自らが開発したエンジンを一番速く走らせられるのは俊郎であると知り、レラごと俊郎を買い取るという暴挙に出るが、学資金でレースをしている事を知った父親(神コーポレーション会長)に資金をストップされてしまう。それによりチーム撤退を余儀なくされるが、麗香のF1に対する情熱を知ったレラ陣営と和解した事により、レラとの共闘という形で合併、レラ・カムイとして参戦を開始する。典型的なお嬢様気質で高飛車な面が目立つが、ネーナとラルフにマイネの参戦するドイツGPのチケットを贈ったり、パドックに招待するなどといった心優しい面も見せる。スタッフからの呼び名は「ボス」。 ルドルフ・マイネ(Rudolf Meine) チーム・カムイのエースドライバー、ドイツ出身。ニックネームは「ルディー」。かつて、メルセデスに契約を一方的に破棄された事から恨みを持っており、メルセデスエンジンを搭載したザウバーチームのマシンやメルセデスジュニアチーム出身のミハエル・シューマッハを見ると暴走してしまうという「メルセデス・パラノイア」を抱えており、それによってドイツ出身であるにも関わらず、ドイツのファンからは嫌われ者となっていた。しかし1993年のドイツGPでの俊郎との真剣勝負を境にそれを克服、シューマッハに次ぐ(あるいは同等の)人気を得る。カムイがレラと合併しレラ・カムイとなってからは、セカンドドライバーとして活躍する。ネーナとラルフという2人の子供が居るが、妻は居ない様子(理由は不明)。憧れのドライバーは、アラン・プロスト。 所属チーム1993年カムイ(開幕戦南アフリカ、第10戦ドイツ~第16戦最終戦オーストラリア)※第2戦~第9戦はテストドライバーとして同チームに在籍。 1994年カムイ(開幕戦ブラジル~第5戦スペイン)レラ・カムイ(第6戦カナダ~第16戦最終戦オーストラリア) ランディ・ブロッツァー(Randy Blotzer) 1993年の日本GPにスポット参戦して来た謎の男。国籍は不明だが、南アフリカの孤児院施設にいたのではないかということを匂わせる記述が作中にある。レースの世界では「賞金稼ぎ」として有名であり、それと同様にダーティーな走りで恐れられていた。俊郎を倒すために稼ぎ放題のF3000から転向し、ちょうど打倒レラを狙っていたカムイとの利害が一致した為に、高額の契約金と要所要所での賞金を条件に契約する。日本GPでは、ルール無視とも言えるダーティーな走りで同僚であるマイネすらもリタイアに追い込むなどやりたい放題を繰り返した挙句、最後は1コーナーで俊郎の策に嵌って自滅する。その後表舞台から姿を消していたが、純粋に俊郎にレースで勝つべく1994年イタリアGPにてマーキュリーから復帰、その高い実力でカジワラとともに俊郎に迫っていく。長年俊郎を追い続けてきた事によってソニックターンの弱点を唯一知っており、1994年日本GPではピットでの火災で火傷を負いながらも、それをカジワラに伝えた。 所属チーム1993年カムイ(第15戦日本) 1994年マーキュリー・スプレンダー(第12戦イタリア~第16戦最終戦オーストラリア)
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