スペインの公爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 03:49 UTC 版)
王室の称号プリンシペ(Príncipe)を除けば、スペイン貴族の階級には上からDuque(公爵)、Marqués(侯爵)、Conde(伯爵)、Vizconde(子爵)、 Barón(男爵)、Señor(領主)の6階級があり、公爵は最上位である。すべての公爵位にはグランデの格式が伴い、グランデ委員会に属する。グランデの格式を伴う爵位保有者は「閣下(Excelentísimo Señor (男性) Excelentísima Señora (女性))」の敬称で呼ばれる。 スペインの公爵位は現在155個存在し、有名な物には16世紀の宗教戦争時代に当主が軍人として活躍したアルバ公爵、アルマダの海戦の際に当主が無敵艦隊の司令官を務めたメディナ=シドニア公爵、新大陸発見者とされるクリストファー・コロンブスの子孫が保有するベラグア公爵とラ・ベガ公爵(スペイン語版)、アステカ皇帝モクテスマ2世の子孫が保有するモクテスマ・デ・トゥルテンゴ公爵(スペイン語版)、フェリペ3世の寵臣(スペイン語版)を初代とするレルマ公爵(スペイン語版)、フェリペ4世の寵臣を初代とするサンルーカル・ラ・マヨル公爵(スペイン語版)(オリバーレス伯爵の爵位を埋没させたがらず、「オリバーレス伯公爵」を名乗っていた)、ナポレオン戦争時代のイギリス軍司令官ウェリントン公に与えられたシウダ・ロドリゴ公爵、スペイン内戦を起こしたエミリオ・モラ(スペイン語版)の子孫が保有するモラ公爵(スペイン語版)、フランシスコ・フランコ総統の子孫が保有するフランコ公爵などがある。またオスーナ公爵(スペイン語版)は、19世紀末の当主(スペイン語版)が駐ロシア大使を務めていた際に来客のために用意した金食器を川に捨てるという余興を催したことで、浪費を指して「オスーナ家でもあるまいし」という言い回しができたことで有名になった。 正式な称号とは認められていないが、カルリスタの王位請求者によって創設された171の称号の中にも4つの公爵位があった。 王室の称号プリンシペも公爵と訳されることがあるが(「大公」や「王子」と訳されることもある)、これには皇太子に与えられるアストゥリアス公などがある。 公爵を含む伯爵以上の貴族の長男は他の称号を持たない場合には親の称号に由来する地名の子爵位を爵位の継承まで名乗ることができる。貴族称号の放棄も可能だが、他の継承資格者の権利を害することはできず、また直接の相続人以外から継承者を指名することはできない。貴族称号保持者が死去した場合、その相続人は1年以内に法務省に継承を請願する必要があり、もし2年以内に請願が行われなかった場合は受爵者が死亡した場所の州政府が政府広報で発表した後、他の承継人に継承の道が開かれる。爵位の継承には所定の料金がかかる。スペインに貴族院はなく、爵位をもっていても法的な特権は何も得られない。かつてグランデの格式を有する者は外交官パスポートを持つことができたが、これも1984年に廃止されている。だがそれでも爵位を持つことは社会的信頼が大きいことから多くの人が高いお金を出してでも取得を希望する。 歴史的にはスペインの前身であるカスティーリャ王国、アラゴン連合王国、ナバラ王国にそれぞれ爵位貴族制度があり、17世紀のカスティーリャの貴族の爵位は公爵、侯爵、伯爵に限られ、この三爵位の次期候補者がまれに子爵を使った。1520年までカスティーリャの爵位貴族は35名しかいなかったが、フェリペ3世時代以降に爵位貴族が急増した。 1931年の革命で王位が廃されて第二共和政になった際に貴族制度が廃止されたことがあるが、1948年に総統フランシスコ・フランコが貴族制度を復活させ、国王による授爵と同じ規則のもとにフランコが授爵を行うようになった。王政復古後は再び国王が授爵を行っている。
※この「スペインの公爵」の解説は、「公爵」の解説の一部です。
「スペインの公爵」を含む「公爵」の記事については、「公爵」の概要を参照ください。
- スペインの公爵のページへのリンク