スペインの分割案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:50 UTC 版)
「スペイン継承戦争」の記事における「スペインの分割案」の解説
イングランド王ウィリアム3世は、1698年、ルイ14世に対して打開策を提案し、ハーグで第一次分割条約に合意した。2人は、ホセ・フェルナンドを後継者とするが、ナポリとシチリアはルイ14世の息子ルイ王太子(グラン・ドーファン)へ、ミラノ公国はレオポルト1世の次男カール大公へ、それぞれ割譲される内容だった。 スペインもホセ・フェルナンドを後継者とすることに合意し、アストゥリアス公に叙爵したが、領土の割譲は拒絶した。しかし、そのホセ・フェルナンドが1699年2月に6歳で夭逝してしまう。この直後から、ルイ14世はスペイン問題に熱心に介入し、第二次分割条約として、カール大公にスペイン本国を継承させる代わりに、ルイ王太子にナポリ、シチリア、トスカーナ、ギプスコア、ロレーヌを割譲することで、イギリスやネーデルラント連邦共和国の同意を得た。当のスペイン王国及び皇帝レオポルト1世は反発し、両者はスペイン所領の一括相続では一致したものの、カルロス2世の体調悪化は深刻であり、後継者を巡る各国の策謀の中、カルロス2世はルイ王太子の次男アンジュー公フィリップを遺言で後継者に指名して、1700年11月1日に崩御する。 カルロス2世の遺言では、スペイン領の一括相続を前提としてアンジュー公フィリップに王位が継承されるが、これをルイ14世が拒否した場合は、カール大公が相続すると定められていた。ルイ14世は、スペインの分割ではなく、カール大公のスペイン継承に伴いフランスがハプスブルク家に挟撃されることを回避するため、同年11月9日カルロス2世の遺言の支持を表明し、アンジュー公フィリップがスペイン王フェリペ5世として即位した。 フィリップへの王位継承は、スペイン宮廷にフランス支持者を増やしたルイ14世の画策によるものであったとされる。カルロス2世は一括相続して戦争が起こる場合を見越して、フランスが諸国に対抗出来るだろうとの期待から選んだものであった。仏西の合同を脅威と感じていたにもかかわらず、ウィリアム3世はフェリペ5世の即位を容認した。
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