ストロベリー・フィールドとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > ビジネス > 全国NPO法人 > ストロベリー・フィールドの意味・解説 

NPO法人ストロベリーフィールド

行政入力情報

団体名 NPO法人ストロベリーフィールド
所轄 東京都
主たる事務所所在地 練馬区平和台三丁目26番15号 マーベラス昇辰ビル101号室
従たる事務所所在地
代表者氏名 佐藤 智子
法人設立認証年月日 2016/04/06 
定款記載され目的
この法人は、一般市民対象として、児童福祉理念に基づき子どもたち健全な育成を図るため保育欠け児童対す保育や、子育て育児支援事業を行うことによって、安心して子育てができる暮らしやすい地域づくり寄与することを目的とする。 
活動分野
保健・医療福祉     社会教育     まちづくり    
観光     農山漁村中山間地域     学術・文化芸術スポーツ    
環境保全     災害救援     地域安全    
人権・平和     国際協力     男女共同参画社会    
子どもの健全育成     情報化社会     科学技術振興    
経済活動活性化     職業能力雇用機会     消費者保護    
連絡助言援助     条例指定    
認定
認定・仮認定
認定   認定   旧制度国税庁)による認定   認定更新中  
PST基準
相対値基準     絶対値基準     条例指定()    
認定開始日:       認定満了日:       認定取消日:   
認定年月日:    認定満了日:    認定取消日:   
閲覧書類
監督情報
解散情報
解散年月日  
解散理由  

ストロベリー・フィールド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/19 08:36 UTC 版)

ストロベリー・フィールド
Strawberry Field
ビートルズ・ファンの落書きで埋め尽くされた門扉(2002年撮影)
概要
所在地 イングランドリヴァプール市ウールトン英語版、ビーコンズフィールド通り[1]
座標 北緯53度22分49秒 西経2度53分2秒 / 北緯53.38028度 西経2.88389度 / 53.38028; -2.88389座標: 北緯53度22分49秒 西経2度53分2秒 / 北緯53.38028度 西経2.88389度 / 53.38028; -2.88389
所有者 救世軍
著名な点 ストロベリー・フィールズ・フォーエバー
テンプレートを表示

ストロベリー・フィールド(英語: Strawberry Field)は、リヴァプール郊外のウールトン英語版の観光名所で、救世軍の所有地である。この家は、1936年から2005年まで孤児院として使用されていた。この家と敷地はビクトリア時代に個人が自邸として建てたものだったが、1930年代に救世軍に買い取られた。1973年に構造上の問題により家は取り壊され、用途に合ったものに建て直された。孤児院としての運用が終わった後、この施設は他の用途で救世軍が引き続き使用している。

この場所は、ビートルズが1967年に発表したシングル「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」で世界的な名声を博した。楽曲の作者であるジョン・レノンはこの近くで育ち、子ども時代にはこの施設の敷地内で遊んでいた。やがて、ビーコンズフィールド・ロードの赤いペンキを塗られた古い門扉は、ビートルズファンの巡礼地となった。2019年には、ストロベリー・フィールドは、その来歴やカフェ、ショップに関する展示と、特別な教育を必要とする若者向けのトレーニングセンターを含めて初めて一般公開された。

2000年5月11日に伝えられているところでは、この門扉は配送車に乗った二人の男によって盗難にあった。門扉は古物商に売られたが、業者はそれがストロベリー・フィールドから盗まれた実物とは思っていなかった。古物商は警察の求めに応じて門扉を返却し、門扉は再びストロベリー・フィールドの元の場所に戻された。

歴史

ゴシック復古調の大邸宅であったストロベリー・フィールドに関する最初期の言及は1870年に遡るもので、当時は富裕な海運界の大立者ジョージ・ウォーレンが所有していた。1891年陸地測量地図英語版では、施設名が「ストロベリー・フィール」と複数形で示されているが、1905年の調査では変更されていた。これは1912年に富裕な商人のアレクサンダー・C・ミッチェルへ譲渡され、その未亡人が1934年に地所を救世軍へ売却した。1936年7月7日、救世軍創設者ウィリアム・ブースの娘であるエヴァンジェリン・ブース英語版大将の臨席の下で、レディ・ベイツが児童施設としての開場を行った。この施設は女子児童を40名まで収容できる能力を備えており、1950年代には5歳未満の男子児童が招き入れられた。後には、さらに年長の男子も住人となった。

ビートルズ

1891年の陸地測量地図(2500分の1)上に示された、「ストロベリー・フィールズ」

当家の名は1967年ザ・ビートルズがシングル「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」を発表したことで有名になり、この曲を書いたのは、近所のメンローブ街251番地で育ったジョン・レノンであった。ストロベリー・フィールドが建つビーコンズフィールド通りは、メンローブ街からの脇道であった。少年時代のレノンにとって愉しみの一つが、毎夏ストロベリー・フィールドの地所で開かれる庭園パーティーだった。レノンの伯母ミミは、「救世軍の楽隊英語版が演奏を始めるところを私たちが耳にすると、すぐにジョンは跳び上がって、『ミミ、行こうよ。遅れてしまうよ』と叫んだものです」と回想した[2]

継承

ストロベリー・フィールドの門扉

ストロベリー・フィールドは、ニコラウス・ペヴズナー1969年に南ランカシャーで行った建物調査によって認知された[3]。しかしその頃には、建物が本来の目的に適さなくなっていた。1973年には木材腐朽菌の被害によって荒廃が進んだため、建物を取り壊してより近代的な児童施設に置き換える方が合理的とされた。新たな施設は3棟の関連建築を備え、それぞれ12名の児童に対応できた[4]。建物に入るための私道入口はビーコンズフィールド通り沿いの西側へと移されたため、ストロベリー・フィールドの名が記された門柱はもはや利用されなくなった。1970年代以降使われなくなった入口とその門とが、世界中のビートルズ・ファンにとってのメッカとなった。その結果、門は引き続き明るい赤色の塗装が保たれ、色鮮やかな表札もまた維持された。

2020年時点の庭園。ガラスパネルは同じ地点のかつての眺望を示す。

児童施設は2005年1月に閉鎖され、建物は救世軍が教会や祈祷用施設として用いた。入口を示すオリジナルの門は2011年5月に取り外されて複製と交換された[5]2019年9月に、救世軍は初めてストロベリー・フィールドを一般に開放し、地所の散策を訪問者に認めた[6]。地所では若年世代向けの特殊教育用トレーニングセンターと当地の来歴を記した展示が一体となり、カフェやショップも備えられている[7]

関連項目

脚注

  1. ^ Above and Beyond Productions (2021年1月). “ストロベリー・フィールド”. Google_ストリートビュー. Google. 2023年6月4日閲覧。
  2. ^ デイヴィス (上), pp. 125, 127.
  3. ^ Pevsner (1969).
  4. ^ Strawberry Fields in Liverpool - Home of the Beatles childhood.” (英語). www.bedand-breakfastliverpool.co.uk. 2020年4月18日閲覧。
  5. ^ “Beatles' Strawberry Fields gates removed” (英語). BBC News. (2011年5月10日). https://www.bbc.co.uk/news/uk-england-merseyside-13344102 2018年8月15日閲覧。 
  6. ^ ジョン・レノンゆかりの地「ストロベリー・フィールズ」、一般公開”. AFPBB News (2019年9月19日). 2023年6月10日閲覧。
  7. ^ Strawberry Field Forever - Restoration - Liverpool” (英語). www.strawberryfieldliverpool.com. 2020年4月18日閲覧。

参考文献

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ストロベリー・フィールド」の関連用語

ストロベリー・フィールドのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ストロベリー・フィールドのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
内閣府NPOホームページ内閣府NPOホームページ
Copyright (c)2025 the Cabinet Office All Rights Reserved
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのストロベリー・フィールド (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS