ストラトスHFゼロ (1970年)
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「ランチア・ストラトス」の記事における「ストラトスHFゼロ (1970年)」の解説
1970年秋のトリノ・ショーでベルトーネより、ショー・カーの「ストラトスHFゼロ」(リアのバッジはSTRATO'S HF)が発表された。ヌッチオ・ベルトーネは当初、宇宙時代のデザインに触発されて、「成層圏の限界」のように「ストラトリミテ」と呼びたがっていた。ショー・カーだが動力ユニット(エンジン、ギアボックス)やシャーシーをランチア・フルヴィア クーペのものから流用しており、MR(ミッドシップエンジン、後輪駆動)というシャーシレイアウトである。そのフロントヘッドライトストリップには全幅に超狭10個の55W電球でヘッドライトが構成され、リアは、切り詰められたテールのグリル周囲全体にリボンテールライトとして広がる84個以上の小さな電球で照らされ、同じライトが方向指示器として兼用され、中央から端まで連続して点灯した。ベルトーネのデザイナー、ユージニオ・パリアーノは、自分たちがどれだけ低い車を作ることができるかを確認することが課題だと主張し、フェラーリ・モデューロの高さはわずか93.5cmだったが、ストラトスHFゼロは地面からわずか84cmだった。ミッドエンジンの機械的レイアウトでは、フルビアHFの1.6リッターランチアV4エンジンを使用し、これにより全体の高さを低くすることができた。後部に横方向の板ばねが配置されたダブルウィッシュボーンは、フルビアのフロントアクスルであり、フロントには短いマクファーソンストラット式を採用し、4輪すべてにディスクブレーキを装備した。この車では乗降用のドアはフロントガラスを兼ねた台形の巨大なハッチとなっており、フロントエンブレムの「LANCIA」のロゴ部分を開閉ノブとしてハッチを開け、可動式のステアリングコラムを前に跳ね上げ、前部の黒いゴム製のマット部分を足場として乗降するという奇抜なものであった。緑のパースペックスで手作業でエッチングされたグラフィックを使用した未来的なインストルメントパネル、ステアリングはイタリアの自動車パーツメーカーGallino-Helleboreによって製造され、バックミラーはサイドスカラップの内側に沈められ、後部の視界を制限した。ヌッチオベルトーネは、ストラトスHFゼロをわざわざ自走で運転して現実的なスポーツカープロジェクトについて話し合いにサンパオロ通りのランチアの本部に行きランチアレーシングチームの人々を庭に連れ出して車を見せている。この時点でストラトスHFゼロは量産からはほど遠いショー・カーであり、1968年のアルファロメオ・カラボ、1970年のストラトスゼロ、1971年のランボルギーニ・カウンタックLP500プロトの間には明確な連続性があり、ストラトスゼロのすべてが未来的に見えた。メッシュグリル、ファットタイヤ、突き出たギアボックスケースの側面にオフセットされたデュアルエキゾースト等のデザインディテールがカウンタックに引き継がれたが、フルヴィアに代わる「ラリーで勝てる車」を欲していたランチアにとっては興味の薄いものであった。 後にそのスタイルの斬新さから映像作品に登場することもあり、マイケル・ジャクソンの1988年の映画『ムーンウォーカー』にマイケルが変形する車として登場したほか、パイオニアのカーコンポ『カロッツェリア』のCMに登場した。パイオニアの出演時にはユニットは他に流用されて不動車となっており、レッカー方式で撮影が行われたが、2000年にカプリエのStile Bertoneで完全にレストア、シルバーからブラウンに復元され現在は自走が可能である。
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