ジュリアーノ・ジェンマ
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ジュリアーノ・ジェンマ Giuliano Gemma |
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2008年の70歳の誕生日に撮影
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別名義 | モンゴメリー・ウッド |
生年月日 | 1938年9月2日 |
没年月日 | 2013年10月1日(75歳没) |
出生地 | ![]() |
死没地 | ![]() |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 映画・テレビ |
活動期間 | 1958年 - 2013年 |
配偶者 | Baba Richerme |
著名な家族 | ヴェラ・ジェンマ(娘、女優) ジュリアナ・ジェンマ(娘) |
公式サイト | http://www.giulianogemma.it/ |
主な作品 | |
『山猫』(1963年) | |
ジュリアーノ・ジェンマ(Giuliano Gemma、1938年9月2日 - 2013年10月1日)は、イタリア・ローマ出身の俳優・彫刻家。マカロニ・ウェスタンのトップスターとして知られた。

来歴
幼い頃は母の生まれ故郷北イタリア、レッジョ・エミリアで暮らす。小さい頃から肉体労働などをして家計を支え、高校時代はボクシングや器械体操で数々の賞をとった。卒業後に兵役に就く。その後バーテンダー、セールスマン、消防士などをした後に1957年演劇学校ビデス・フィルムに入学し、アメリカ映画『ベン・ハー』にエキストラ出演(当初はチャールトン・ヘストンのスタンドインに予定されていたものの191cmのヘストンより6cm背丈が足りなかったため)。ほか、『タイタンの逆襲』やルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』などにも出演。
1965年、“モンゴメリー・ウッド”の芸名でマカロニ・ウェスタン『夕陽の用心棒』に主演し、これが世界的にヒット。同時期に芸名を本名のジュリアーノ・ジェンマへと変える。その後も『荒野の1ドル銀貨』、『南から来た用心棒』、『星空の用心棒』、『怒りの荒野』といったマカロニ・ウェスタンに立て続けに主演し、世界の大スターへ。
私生活では人気が出る前からのマネージャーのナタリア・ロベルティと結婚している。
1980年代前半には、スズキから、自らの名を冠した第1種及び第2種の原動機付き自転車(スクーター)「ジェンマ」のイメージキャラクターとしてCMに出演した。また、来日もしている(マガジンハウス刊「スタアの40年 平凡 週刊平凡 秘蔵写真集」より、カラー写真)。
1991年にはイタリアロケが行われた日本映画『フィレンツェの風に抱かれて』(和泉聖治監督。東映)に出演し、若村麻由美と共演した。
晩年は彫刻家としても活動していたが、2013年10月1日、ローマ近郊のチェルヴェーテリで自家用車を運転中に対向車と正面衝突し負傷。搬送先の病院で死去した。75歳没[1][2][3][4]。
主な出演作

- 剣闘士の反逆 (1958)
- ベニスと月とあなた (1958)
- ベン・ハー Ben-Hur (1959)
- メッサリーナ(1959)
- ボッカチオ'70 (1961)
- タイタンの逆襲 ARRIVANO I TITANI (1962)
- 山猫 IL GATTOPARDO (1962)
- 史上最大の喜劇 地上最笑の作戦 (1962)
- 鉄腕マチステ MACISTE L'EROE PIU' GRANDE DEL MONDO (1963)
- シエラザード Sheherazade (1963)
- 二人の剣闘士 I DUE GLADIATORI (1964)
- 親衛隊の反逆 (1964)
- ヘラクレス対太陽の子 (1964)
- アンジェリク はだしの女公爵 ANGELICA ALLA CORTE DEL RE ANGELIQUE: MARQUISE DES ANGES(1965)
- アンジェリク2/ヴェルサイユへの道 ANGELIQUE: MERVEILLEUSE ANGELIQUE (1965)
- バイキング・エリック ERIK IL VIKINGO (1964)
- こむすめ LA RAGAZZOLA (1965)
- 夕陽の用心棒 Una Pistola per Ringo (1965)
- 荒野の1ドル銀貨 Un dollaro bucato (1965)
- 続・荒野の1ドル銀貨 Il ritorno di Ringo (1965)※実際には「荒野の1ドル銀貨」とは関係なく、「夕陽の用心棒」のスタッフの作品。
- 続・さすらいの一匹狼 ADIOS GRINGO (1965)
- 南から来た用心棒 ARIZONA COLT (1966)
- さいはての用心棒 PER POCHI DOLLARI ANCORA (1966)
- キス・キス・バン・バン KISS KISS.....BANG BANG (1967)
- 星空の用心棒 I lunghi giorni della vendetta (1967)
- 荒野の一つ星 WANTED (1967)
- 怒りの荒野 I GIORNI DELL'IRA (1967)
- バスタード I BASTARDI (1968)
- 暁のガンマン ...E PER TETTO UN CIELO DI STELLE (1968) ※劇場未公開。テレビ放映時に「さすらいの用心棒」のタイトルで放送された。
- 欲情の島 Blow Hot, Blow Cool (1969)
- 怒りの用心棒 Il prezzo del potere/The Price of Power (1969) ※「復讐のダラス」「ダラス・ブリット」の名前の表記も見られる。
- 荒野の大活劇 VIVI O PREFERIBILMENTE MORTI (1969)
- 火の射手 L'ARCIERE DI FUOCO (1970)
- 特攻大戦線 CORBARI (1970)
- 女にしっぽがあったころ QUANDO LE DONNE AVEVANO LA CODA (1970)
- はるかなる国境 L'AMANTE DELL'ORSA MAGGIORE (1971)
- 新・さすらいの用心棒 ベン&チャーリー Amico, stammi lontano almeno un palmo (1972)
- イタリア式恋人アタック作戦 (1972)
- ザ・ビッグマン UN UOMO DA RISPETTARE (1972)
- くたばれカポネ ANCHE GLI ANGELI MANGIANO FAGIOLI (1973)
- アフリカ特急 AFRICA EXPRESS (1975)
- サファリ特急 SAFARI EXPRESS (1976)
- ゴールデン・ボーイ 危機また危機 Troppo Rischio Per Un Uomo Solo (1973)
- 縄張(シマ)はもらった Charleston (1974)
- ミラノの恋人 Delitto D'amore (1975)
- ザ・サムライ 荒野の珍道中 Il bianco, il giallo, il nero (1975)
- カリフォルニア〜ジェンマの復讐の用心棒 CALIFORNIA (1977)
- 鉄人長官 IL PREFETTO DI FERRO (1977)
- ザ・ビッグ・バトル (1977)
- シルバー・サドル 新・復讐の用心棒"SILVER SADDLE"(1978)
- 獲物はおまえだ (1979)
- 警告 (1980)
- シャドー Shadow Tenebrae (1982)
- ドン・コルレオーネの娘 禁断 The Man from Corleone Le Cercle des Passions (1983)
- クラレッタ・ペタッチの伝説 Claretta (1984)
- 秘宝を追え! ―イタリア特捜警察― Caccia al ladro d'autore (1984)
- 魔境のガン・ファイター Tex e il signore degli abissi (1985) ※劇場未公開。邦題はビデオ販売時のもの(2016.06.22現在DVD、BDともに国内未発売)
- アルジェント・ザ・ナイトメア/鮮血のイリュージョン (1986)
- 女たちのテーブル Speriamo che sia femmina (1986)
- 仁義なき街 Ready To Fight (1987)
- オポネント (1987)
- フィレンツェの風に抱かれて 日本映画 (1991)
- 女王フアナ Juana la Loca (2001)
- シークレット・ポワゾン 背徳の蜜事 (2001)
日本語吹き替え
主に担当していたのは、以下の二人である。
- 野沢那智
- キャリア初期から吹き替えを担当しており[5]、ジェンマの専属(フィックス)として知られた[6]。
- 1970年代にジェンマが『ゴールデン・ボーイ 危機また危機』(1973)のプロモーション[注 1]を兼ねて来日した際にNETの企画で対面し、ジェンマ本人からの公認を得ている。翌年のインタビューでは「ジェンマは去年の来日の際、NETで会いましたが、彼こそカントリー・ボーイって感じで嬉しかったねえ。本当に楽しそうな人ですね。彼の吹替えが一番やりやすいなあ。このままの声でやれるし、芝居のタッチも強く、セリフのメリハリが効きますから」と証言している[6]。
- 松橋登
- 主にジェンマ主演作品の日本テレビ放映時に担当。野沢に次いで多く吹き替えた[7]。
このほかにも、伊武雅刀、木下秀雄、柴田侊彦、山田康雄、江原正士なども声を当てたことがある。
日本のテレビCM
脚注
- ^ “Addio Giuliano Gemma, eroe dei western all'italiana”. 2013年10月2日閲覧。
- ^ “E' morto Giuliano Gemma”. 2013年10月2日閲覧。
- ^ “伊俳優のG・ジェンマ氏が事故死 マカロニ・ウエスタンで人気”. 共同通信社. 47NEWS. (2013年10月2日) 2013年10月2日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “ジュリアーノ・ジェンマさん交通事故死”. nikkansports.com (2013年10月2日). 2021年1月27日閲覧。
- ^ “究極ポイント12 超豪華声優の共演による、テレビ放映当時の日本語吹替音声収録”. ユナイト・マカロニ究極選. スティングレイ. 2022年12月10日閲覧。
- ^ a b 阿部邦雄『声のスターのすべて TV洋画の人気者』近代映画社、1979年5月、160-162頁。全国書誌番号:79023322。
- ^ “デヴィッド・リンチの怪作『デューン/砂の惑星』がVHSソフトで令和の世に復活”. CD Journal. 2025年6月22日閲覧。
- ^ “レトロバイク・グラフティ第17回 SUZUKI GEMMA50(スズキ ジェンマ50)1981年”. バイクブロス. 2023年7月15日閲覧。
- ^ 『ACC CM年鑑'79』(全日本CM協議会編集、誠文堂新光社、1979年 95頁)
注釈
外部リンク
ジュリアーノ・ジェンマ
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キャリア初期にはマカロニ・ウェスタンで活躍したトップスターである二枚目俳優ジュリアーノ・ジェンマも吹替の持ち役にしており、同じく西部劇に数多く声を当てた納谷悟朗や山田康雄、小林清志、大塚周夫らと共に映画番組でのマカロニ・ウェスタンの放映を支えた吹替役者の一人となった。先述の通り晩年には「アラン・ドロンが一番やりやすい」としていた野沢だが、当初はドロンの熱狂的ファンからの「なんで日本語にしたんだ」といった理不尽なクレームの電話に悩まされ、逆にドロンはやりづらかったと言い、それと対照的に一番やりやすいと告白していた俳優がジェンマであった。 野沢はジェンマが“モンゴメリー・ウッド”の芸名で活動していた時代の『夕陽の用心棒』、それから芸名を本名のジュリアーノ・ジェンマへと変えた後の『荒野の1ドル銀貨』『南から来た用心棒』『星空の用心棒』『怒りの荒野』といったジェンマの出世作・代表作を立て続けに吹替えており、『特攻大戦線』『バスタード』『タイタンの逆襲』などの非ウェスタン作品も担当。ほとんどの主演作を吹替え、ジェンマの日本語版の声優として定着した。 野沢は1970年代にジェンマが『ゴールデンボーイ・危機また危機』(1973)のプロモーションを兼ねて来日した際にNETで対面しており、翌年のインタビューでは「ジェンマは去年の来日の際、NETで会いましたが、彼こそカントリー・ボーイって感じで嬉しかったねえ。本当に楽しそうな人ですね。彼の吹替えが一番やりやすいなあ。このままの声でやれるし、芝居のタッチも強く、セリフのメリハリが効きますから」と証言している。 なお、野沢が吹替えを担当したジェンマの出演作のほとんどはインディーズ系作品であり、権利元も独立系配給会社であったことから、その権利の移行の際に吹替原版が引き継がれずに消失したり、放送局毎に松橋登(野沢に次いでジェンマの声を多く担当、主に日本テレビの映画番組で起用されていた)や柴田侊彦(『星空の用心棒』TBS版で担当、現在権利元に保管されているバージョンである)など、野沢以外の俳優による吹替が新規に制作され、リピートにはそちらの新録版が使用されることが増えていったために複数のバージョンの中で比較的制作年の古い野沢が吹き替えたものは年々放送される機会が減りつつあった。近年ではマカロニ・ウェスタン作品のソフト化にあたって過去のテレビ版吹替を収録する際には、ファンの声に応えてジェンマ=野沢那智のバージョンの吹替版が捜索された上でセルソフトに収録される機会が多くなっている(主な例としては『荒野の1ドル銀貨』『続・荒野の1ドル銀貨』『さいはての用心棒』『怒りの荒野』『特攻大戦線』など)。
※この「ジュリアーノ・ジェンマ」の解説は、「野沢那智」の解説の一部です。
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