シオン教会と教会墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 15:38 UTC 版)
「ヴォルプスヴェーデ」の記事における「シオン教会と教会墓地」の解説
ヴァイヤーベルクのシオン教会は、七年戦争中の1757年から1758年に建設された。ハノーファーの宮廷建築家ヨハン・パウル・ホイマンの設計に基づき、泥湿地開発技師のユルゲン・クリスティアン・フィンドルフが施工を担当した。ハノーファー選帝侯でイングランド王のゲオルク2世が資金援助を行った。簡素な外観のこのザールキルヒェ(ドイツ語版、英語版)には、ロココ装飾が施された説教壇が設けられている。注目すべきは、2階席の柱の間に描かれた天使のプットや花の装飾模様である。これは当時画学生であったクララ・リルケ=ヴェストホフやパウラ・モーダーゾーン=ベッカーの罰として課題であった。二人は、1900年に教会の鐘を打ち鳴らし、これが火災の警報と誤認されたのであった。1762年にディートリヒ・クリストフ・グロガーがオルガンを製作した。このオルガンは現存していないが、2011年/12年にグロガーのコンセプトに従いヘンドリーク・アーレントによってオルガンが再建設された。この新しいオルガンは22のストップを備えている。バロック様式の尖頭部の下にある白いカラーが遠くからも見ることができる教会塔は1798年に教会の東側に建設された。この教会塔は、他の教会と同じように、ヴォルプスヴェーデ芸術家コロニーの画家たちにとって不可欠のモチーフとなった。 フィンドルフが設計、施工した墓地が、現在も使われている教会墓地である。美しい立地と姿から多くの訪問客の目的地となっている。約80人の重要な画家、作家、音楽家、美術商がここに最後の安息の場を見いだした。その中には、ヴォルプスヴェーデを芸術家村として発見したフリッツ・マッケンゼンやパウラ・モーダーゾーン=ベッカーも含まれている。 彫刻家、デザイナー、画家でさらに建築家でもあるベルンハルト・ヘトガーによって1916年から1919年に製作された、1907年に早逝したパウラ・モーダーゾーン=ベッカーの墓碑は、ヴォルプスヴェーデの墓地を訪れる人に特別な魅力を放っている。この墓碑は、石製の、半裸の、沈み込んだ、等身大の婦人像を戴いている。婦人像の腰の上には両手でリンゴを持つ小さな裸の子供がいる。この像は、子供の誕生の数日後に亡くなったこの女流画家の運命を表現しており、成長と衰退のサイクルを象徴している。
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