シェヌア山の女たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 16:06 UTC 版)
「アシア・ジェバール」の記事における「シェヌア山の女たち」の解説
ジェバールの初期の小説と、13年のブランクを経て発表された『居室のなかのアルジェの女たち』以降の作品は題材も作風もかなり異なる。彼女はこの間に母方のベルカニ族の土地シェルシェル(現ティパザ県内)で長期にわたって調査を行った。アルジェリア北端のシェルシェルは、北は地中海に面し、南はシェヌア(フランス語版)山とダフラ(フランス語版)山地に取り囲まれている。彼女はこの地で農業を営む女性たちに植民地時代・アルジェリア戦争中の体験について聞き取りを行い、これに基づいて『シェヌア山の女たちのヌーバ』(1978年)、『ゼルダ、あるいは忘却の歌』(1982年)の2本の映画を制作した。いずれも記録映画的なフィクションである。『シェヌア山の女たちのヌーバ』の「ヌーバ(フランス語版)」は、アラブ・アンダルシア音楽(フランス語版)(マグレブ諸国で誕生し、アラブ民族がイベリア半島(アンダルシア)を支配していた9世紀から12世紀にかけて発展した古典音楽)の一形式で、楽器と歌の組曲であり、『ゼルダ、あるいは忘却の歌』の「ゼルダ(zerda)」は、土地の聖人を讃える儀式(祭り)である。いずれもアラビア語とフランス語で制作されたテレビ映画で、最初は国営テレビ局アルジェリア・テレビ(フランス語版)でそれぞれ1978年と1982年に放映された。『シェヌア山の女たちのヌーバ』では、1913年にアルジェリア北東部のオーレス(フランス語版)山地で民謡を収集したバルトークへの共感から、彼の音楽を使っている。『シェヌア山の女たちのヌーバ』はさらにチュニス県のカルタージュで上映され、翌1979年にヴェネツィア・ビエンナーレで国際批評家賞を受賞、『ゼルダ、あるいは忘却の歌』は1983年にベルリン国際映画祭で特別賞の「歴史映画最優秀賞」を受賞した(受賞・栄誉参照)。 ジェバールは、「シェヌア山の女たち」の声を「殺すのではなく、目覚めさせ」、「亡くなった多くの女たちを蘇らせ」、「強いられた沈黙の声、ヴェールに覆われ、押し殺された声を解放するために」これらの映画や『居室のなかのアルジェの女たち』以降の作品を書いたと語っている。 2002年に発表した小説『墓のない女』は、映像作家である語り手が1976年に映画制作のためにシェルシェルを訪れ、この地に暮らした一人の女性ズリハの情熱的・悲劇的な人生について知り、女性たちへの聞き取りに基づいてズリハの生涯を描くという設定であり、上記の調査、聞き取り、映画制作の過程を反映するもう一つの物語である。
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