シェハリオン山 1774年
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「シェハリオンの実験」の記事における「シェハリオン山 1774年」の解説
従来以上の試みとなる実験が、1772年に王室天文官ネヴィル・マスケリンによって王立協会に提案された。彼はこの実験が「これが実施された国として名誉となる実験だ」と示唆し、ヨークシャーのウエーンサイド (en)、カンバーランドのヘルヴェリン山 (en)からスキッドダウ山 (en) にかけての山塊を適切な候補地とした。王立協会はこれを審査するためのマスケリン、ジョセフ・バンクス、ベンジャミン・フランクリンからなる実行委員会を構成した。本委員会は実験地として適合する山の選定のために天文学者・調査官であるチャールズ・メイソン (en) を派遣した。 長期にわたる選定調査の後、メイソンはスコットランド高地のテイ湖 (en)とラノック湖 (en)の間にそびえる標高 1,083 m (3,553 ft) のシェハリオン山 (Schiehallion, 当時のスペルは Schehallien) を最有力の候補として報告した。この山は隣接する丘陵から孤立した立地であり、それらからの引力の干渉を最小限にでき、尾根線形状の東西方向の対称性は諸計算を単純化させることができる。シェハリオン山の北部と南部の急斜面は山の重心の最寄りを実験サイトにして、変位角効果を最大にすることができる。 メイソンは1日あたり1ギニー (1.05ポンド) の手数料での実験委任の依頼を辞退した。その結果、マスケリンが王立天文官としての仕事から一時的に離れて本実験を担当することが認められた。マスケリンは本実験にあたった数学者・調査官であるチャールズ・ハットン (en) と王立グリニッジ天文台の数学者であるリューベン・バロー (en:Reuben Burrow) の助力を得た。彼ら天文学者たちのための観測所の建設と調査のための作業労働力が約束された。その科学者チームは金星の日面通過の観測のための1769年のジェームス・クックによる最初の航海 (en) で用いられた12インチ (30.48センチメートル) の真鍮製の象限儀、10フィート (3.05メートル) の扇形天頂儀、天体観測時の計時のためのレギュレータ (高精度振り子時計) を含む特に十分な天文観測装備が与えられた。また彼らは山の測量のための経緯儀やギュンターの鎖 (測量用鎖: en)、標高を計測するための気圧計も装備した。イギリス王ジョージ三世の指示による、金星の日面通過の観測遠征での節約分の王立協会への振替により、この実験に対しては惜しみない財政的支援が可能となった。
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