ゲルハルト・リヒターのステンドグラス
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「ケルン大聖堂」の記事における「ゲルハルト・リヒターのステンドグラス」の解説
大聖堂南側の窓には、2007年8月26日からドイツの芸術家ゲルハルト・リヒターのデザインによるステンドグラスがはめ込まれている。第二次世界大戦中の爆撃で大聖堂南側の窓が破壊されると、ヴィルヘルム・トイヴェン(Wilhelm Teuwen)がデザインした窓が取りつけられたが、窓を透過する光が眩しすぎ、機能的に不十分だと考えられた。ケルン大聖堂中央建築協会は総会で新たなステンドグラスのデザインを20世紀のカトリック殉教者の具象的な肖像とすることを決めた。リヒターは2001年にこの仕事を引き受けると、最初に国家社会主義の犠牲者の処刑シーンを映した写真をもとにした2つのデザイン案を提案した。しかし、すぐにリヒターはこのきわめて残酷なシーンはモチーフとして不適切で、ほかの歴史的なモチーフは時代にそぐわないと考え始めた。 リヒターが新たに提案したデザインは、中世の幾何学的・抽象的な模様と、彼自身が考案した幾何学的な構成とを組み合わせたものであった。新たな窓は、それぞれが9.6平方センチメートルの正方形のガラス1万1,500枚からなり、複雑な格子模様になっている。リヒターは、ガラスの色を大聖堂に残る中世のガラスにも使われている72色に限ることで、新しい窓を教会の内装の配色に調和させようと考えた。ステンドグラスの各部分は伝統的には鉛の桟で仕切られていたが、環境負荷を考慮して幅2ミリあまりの黒のシリコーンに置き換えられている。 色の配置はMike Karstensが開発したコンピューターの乱数発生プログラムによりランダムに決定された。この配置はランダムかつ最大限の無秩序を生み出すために慎重に決められている。それゆえ壮大かつ色とりどりな印象を与えるが、同時に厳格な格子模様がカラフルな混沌に高度な調和を与えている。この色配置の法則は、リヒターが1966年から1974年にかけて制作したカラーチャートに基づく初期のパネル絵にさかのぼる。 彼のデザインは、特にケルンの聖職者たちの間で論争の的となった。反対派は、あまりに現代的・抽象的で大聖堂には合わないとして、より具象的でストーリー性のあるデザインを要望した。しかし、伝統的には窓のステンドグラスに必ずしも具象的な描写をすべきものではなかった。 実際、ケルン大聖堂には19世紀または20世紀に制作された窓のほかに、1260年から1562年にかけて制作されたステンドグラス窓が43面ある。これらは計4,100枚のガラスからなり、そのうち1,500枚が具象的なモチーフを表現しているが、残りは程度の差こそあれ装飾的なものであり、植物をモチーフにしたものや抽象的で幾何学的なパターンを用いたものもある。 また注目すべきは内陣の南と北の3つの採光窓で、これらの窓の頂点近くにはリヒターのデザインによく似た小さな四角形からなる格子模様の丸窓があしらわれている。これは1300年ごろに制作されたものだが、リヒターはこの窓に気付いていなかったという。 リヒターのデザインした窓について、2006年にケルン大聖堂主席司祭Norbert Feldhoffは「生命を吹き込み、活気付け、瞑想を促進し、わたしたちに宗教を受容する空気を作る」と述べている。
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