ゲルハルト・シェーンバッハーとフィリップ・テスニエールの「最下位対決」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 10:05 UTC 版)
「ランテルヌ・ルージュ」の記事における「ゲルハルト・シェーンバッハーとフィリップ・テスニエールの「最下位対決」」の解説
1978年の最下位であったフィリップ・テスニエール(英語版)は、ランテルヌ・ルージュの人気を認識しており、1979年、二年連続のランテルヌ・ルージュを狙った。一方のゲルハルト・シェーンバッハー(英語版)は、スポンサーからテレビに映らないことを指摘されたときに同席していたジャーナリストに目立つために最下位になれと提案され、それを受け入れていた。この二人は、片方がトイレのため停車すると一緒に止まるなど、お互いにマークしながら「二人だけのレース」をしていた。第20ステージ終了時点において、シェーンバッハーとテスニエールは総合順位の最下位とその一つ前で、タイム差は約1分であった。続く第21ステージの個人タイムトライアル(英語版)で、シェーンバッハーとテスニエールは故意に遅く走った。同ステージ優勝のベルナール・イノーのタイムが1時間8分53秒だったのに対し、シェーンバッハーは1時間21分52秒、テスニエールは1時間23分32秒で、二人は他の全選手よりも遅かった。テスニエールは、その努力にもかかわらず、イノーのタイムから20パーセント以上遅れたため、タイムオーバーで失格となった。 そしてランテルヌ・ルージュとなったシェーンバッハーは、最終ステージのゴール手前100メートルから自転車を降りて歩き、ゴールラインにキスをするというパフォーマンスを行った。このシェーンバッハーの行為に立腹したツール・ド・フランスの運営側は、翌1980年のツール・ド・フランスの途中、第3ステージから総合最下位選手を失格にするルールを導入した(このルール選手には不評で、第19ステージまでで取りやめになった。)。にもかかわらず、所属チームのオーナーから2年連続のランテルヌ・ルージュになったらボーナスを出すと言われていたシェーンバッハーは、マスコミからタイム差を教えてもらうなどの協力を得て、ランテルヌ・ルージュを獲得した。だが、シェーンバッハーはツール終了後にチーム監督のパトリック・ルフェーブル(英語版)からボーナスは出さないと言われ、口論の末、チームをクビになった。
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