グラシー・ノール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/22 17:06 UTC 版)
「ディーリー・プラザ」の記事における「グラシー・ノール」の解説
グラシー・ノールは、ジョン・F・ケネディ暗殺事件が起こったのちに有名になった、プラザ内にある傾斜した小さな丘である。 1963年11月22日の暗殺時に、その丘はケネディの右上方向(西と北)にあった。このノース・グラシー・ノールは旧テキサス教科書倉庫に接していて、北東へのエルム通りの歩道に沿っており、南には歩道が、北と東には駐車場が、西にはコマース通りとメイン通りとエルム通りが集まるトリプルアンダーパスとその上に鉄道橋がある。 1963年11月22日のノース・グラシー・ノール付近には、数人の目撃者、3つの大きな交通標識、4本の歩道の街灯柱、2つの避難所を含むコンクリート構造物ジョン・ニーリー・ブライアン(英語版)の北パーゴラ、物置小屋、各パーゴラ避難所につながる高さ1mのコンクリート壁があった。このほか、10本の背高で幅広で低く垂れ下がった樫の木、高さ1.5mの木材で直角に曲がる長さ約53.6mに及ぶフェンスの柵、道路縁石には6ヵ所の下水道開口部、それらの下水道マンホールとそこに相互接続している大きなパイプ、そして高さ0.6-1.8mの茂みや樹木や生垣が幾つかある。 「グラシー・ノール」という用語は、UPI通信社の記者アルバート・メリマン・スミス(英語版)がこの場所を説明するために最初に使ったもので、彼は自動車パレードに続く報道記者の「相乗り自動車(プールカー)」に乗っていて車両の無線電話を使った。銃撃からほんの25分後に車からの2回目の発信で、彼は「数名のシークレットサービス隊員が、発砲は自動小銃から大統領車両の右後部に向けて発射されたもので、恐らく警察が駆け込んだグラシー・ノールからだと考えた」と語った。これらの文言は、銃撃事件についての彼の2回目のニュース速報でCBSニュースの司会ウォルター・クロンカイトによって、国営テレビで繰り返された。 調査委員会や他の場所で公表された104人のディーリー・プラザ伝聞証人の報告書では、56人が倉庫あるいはヒューストンかエルム通りの交差点付近のどちらかから少なくとも一発の銃声を聞いたのを覚えている、との証言を残した。35人の証人は、グラッシーノールまたはトリプルアンダーパスのどちらかから少なくとも一発の射撃があった、との証言を残した。8人は他の場所から発射された銃声を聞いたと主張し、5人は銃撃が異なる2つの方向から発射されたと証言した。 長引く議論、回答済および未回答の質問、グラシー・ノールの役割に関する可能性のほかケネディ暗殺をめぐる陰謀論によって、「グラシー・ノール」という用語は英語圏で「疑惑、陰謀、隠蔽」を示す現代の俗語表現にもなっている。
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