クンイェとその家族
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「太祖王建の登場人物」の記事における「クンイェとその家族」の解説
クンイェ(弓裔):メン・セチャン(少年期)/ キム・ヨンチョル(金永哲)(青年・壮年期)。 「クンイェ」を参照 クンイェの実母 海岸でキョンムン王に見初められ、側室として後宮に入る。後宮での生活は、王妃たちの嫉妬によって地獄のような宮廷生活だった。王妃たちからのいじめはひどいものだったとキョンムン王は語っていた。そんな中、クンイェを出産する。しかし、クンイェが生まれたことを快く思わない王妃たちの画策により、クンイェは不吉な子として命を狙われる。これを知ったクンイェの実母は、クンイェと乳母と共に後宮から追われる。追ってきたキム・ウィホンらに追いつかれ、クンイェを乳母に託して自らは捕われの身となる。 その後、竹州の七長寺で尼となり、住職を務める。キム・ウィホンの妻は、クンイェの実母に衣類等を届けるなどの援助を行っていた。会いに来たクンイェに、クンイェのことは知らないと答える。しかし、クンイェが立ち去る際、“疲れた人に千里の道は遠く、眠れない人に夜は長い。小さな煩悩のかけらの1つも捨てられずに、どうして大事が成せるか”とポムギョが語った言葉をクンイェに聞かせた。恨みを捨て去り、大道を歩ませるため、あえて母子の絆を断つためにクンイェを突き放した。 クンイェの乳母 後宮から追われて以来、貧しいながらもクンイェを育ててきた。しかし、新羅の追手から逃げ続ける不安定な生活であった。追手に追われながら、世達寺の住職であるポムギョを頼って、世達寺を目指した。しかし、心身の衰弱が激しく、礼成江の港で倒れてしまう。これを見たワン・リュンが自らの邸宅へ匿った。クンイェに実は新羅の王子の生まれであると言い残し、この世を去る。彼女が死んだ日は、奇しくもワンゴンが生まれた日でもあった。 ヨンファ(蓮花):キム・ヘリ ミヒャン:ユ・ミンジュ ヤンギルの末娘。ヤンギルは服属してきたクンイェを気に入り、彼女を妻にするようクンイェに勧めた。クンイェは僧侶であるからと断るが、半ば強引にヤンギルが押し切った。そうした経緯もあり、クンイェはミヒャンを妻と思わず、仏弟子として接した。クンイェはミヒャンを菩薩と呼んでいた。クンイェが石南寺で生活を始めると、これに同行して生活を共にした。その暮らしぶりは質素であり、様子を見に来たヤンギルがミヒャンの姿を見て、嘆いたほどであった。 その後、クンイェは溟州攻略へ向かうが、攻略中、ヤンギルの疑念により一旦、北原へ召還される。その際、ミヒャンはクンイェに夫婦の契りを交わさねば死ぬと迫る。その決意が固いと察したクンイェは、一度限りとして彼女と契りを交わす。クンイェとミヒャンが契りを交わしたと聞いて、ヤンギルは疑念を解き、あらためて溟州攻略をクンイェに命じる。ミヒャンは妊娠し、男児を出産する。しかし、男児は内軍によって連れ去られ、母子は離れ離れになってしまう。溟州攻略後、クンイェはヤンギルと決別し、独自に勢力を拡大する。これにより、クンイェとヤンギルの関係は悪化し、ミヒャンの立場も危うくなる。 チョンガンらは、ヤンギルの娘であるミヒャンを皇后の器ではないとして、“北原夫人”として遇した。ヤンギルがクンイェに反抗して戦いを起こすと、チョンガンはミヒャンの排除を目論む。2度目のヤンギルとの戦い時には、内軍のヨムサンにミヒャンの縊死を命じたが、ヨンファが現れて失敗する。ヤンギルは敗れ、一族は皆殺しとなった。ミヒャンは肉親・親族を弔うため祈りを捧げるが、この頃から幻視・幻聴の兆候が現れる。 クンイェは領内の巡行を開始し、ミヒャンもこれに同行する。北原において、荒廃した故郷を見たミヒャンは、宴を行っているクンイェを罵倒する。溟州に到着したミヒャンは、息子に会わせてくれるよう、キム・スンシクに懇願するが断られる。ウンブによって、閉じ込められたミヒャンは息子の幻聴を聴き、室内を歩いている際に灯火を落とす。火は室内に燃え広がり、ワンゴンらの消火活動も間に合わず、ミヒャンは焼死してしまう。
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