キリスト教聖書学における暴君としての評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 00:29 UTC 版)
「ネロ」の記事における「キリスト教聖書学における暴君としての評価」の解説
64年のローマ大火にかこつけて、人類史上初めてキリスト教徒を迫害した挙句、「人類(ローマ国民)全体に対する罪」を罪状として科したため、キリスト教文化圏を中心にネロに対する評価は低い。さらに、使徒・ペトロはネロの迫害下で逆さ十字架にかけられ殉教したとされる。だが当時のローマ帝国内では、ローマ伝統の多神教を否定するユダヤ教を嫌悪している者が圧倒的に多数派であった。ネロを糾弾したタキトゥスをはじめとする後世のローマの歴史家達も、このことについてはむしろネロに近い立場を取った。 当時のローマ教会の構成人数は多くても数十人程度であり、一般的にキリスト教はユダヤ教の一派とみなされていた。にも拘らずネロがなぜキリスト教徒を限定して放火犯としたのか。パウロの伝道によるキリストの福音をめぐって一部のユダヤ教他宗派・異邦人と対立し各都市で騒乱が発生しており、ローマでも49年に騒乱を起こしたものが追放されていた。また、ネロの第二妻のポッパエア・サビナはユダヤ教徒と考えられており、彼女やその周辺のファリサイ派やサドカイ派から、イエス・キリスト信仰者が社会に動乱を引き起こす存在として伝達されていた可能性もある。これらによって放火犯とイエス・キリスト信仰者が結びつきやすかったのかもしれない。 また、後世の記述はネロを「国家の敵」として追放した元老院との繋がりが強いスエトニウス、タキトゥス、カッシウス・ディオによる著書による影響力が強く、権力者としての名声を失墜させようとして描かれた人物像である可能性があることに注意する必要がある。また、フラウィウス朝を創始したウェスパシアヌスはネロを悪帝としてメモリアの破壊を先導した。 ただし、タキトゥスはもとよりキリスト教会の資料でも、この頃のキリスト教を迫害したのはネロではなくポッパエアがネロを動かしていたとするものもある。 以上のキリスト教徒迫害のため、ネロは悪魔(獣の数字)や堕落した女(大淫婦バビロン)で暗喩される。
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